東京地判平成16年6月23日 オプトエレクトロニクス事件判決文全文(控訴中)


地位確認等請求事件
東京地方裁判所平成15年(ワ)第18903号
平成16年6月23日民事第36部判決

       判   決

原告 甲野太郎
上記訴訟代理人弁護士 豊崎寿昌
被告 株式会社オプトエレクトロニクス
上記代表者代表取締役 乙山次郎
同訴訟代理人弁護士 相川泰男
同 高柳幸一
同 河野誠


       主   文

1 被告は,原告に対し,金208万6693円及び内金21万1693円に対する平成15年7月26日から支払済みまで年6%の割合による金員,内金43万7500円に対する同年8月26日から支払済みまで年6%の割合による金員,内金43万7500円に対する同年9月26日から支払済みまで年6%の割合による金員,内金100万円に対する同16年1月28日から支払済みまで年5%の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを2分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。


       事実及び理由

第1 請求
 被告は,原告に対し,金408万6693円及び内金21万1693円に対する平成15年7月26日から支払済みまで年6%の割合による金員,内金43万7500円に対する同年8月26日から支払済みまで年6%の割合による金員,内金43万7500円に対する同年9月26日から支払済みまで年6%の割合による金員,内金300万円に対する同16年1月28日から支払済みまで年5%の割合による金員をそれぞれ支払え。
第2 事案の概要
 本件は,被告の入社試験を受け,採用内定の通知を受けた原告が,その後,採用内定を取り消した被告に対し,採用内定取消しは客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由を欠いており無効であり,労働契約は成立していたと主張して債務不履行に基づき平成15年7月1日から同年9月15日までの間の未払給与の支払を求めるとともに,採用内定取消しにより精神的損害等を被ったと主張して不法行為に基づき300万円の慰謝料等の支払を求めている事案である。
1 争いのない事実等(証拠等で認定した事実は当該証拠等を文末に掲記する〈略〉)
(1)被告は,コンピュータの周辺機器の設計・開発・製造及び販売等を業とする株式会社である。
(2)原告は,株式会社A(以下「A社」という)に勤務していたが,平成15年3月ころから転職を希望して求職活動を始め,人材バンク会社である株式会社B(以下「B社」という)を通じて,同年5月28日ころ,被告の入社試験(面接)を受けた(〈証拠・人証略〉)。
(3)被告は,平成15年6月16日付で下記条件により原告の採用を決定し,原告に対し,同日ころ,その旨通知した(以下「本件採用内定」という)。


       記

〔1〕契約の始期 平成15年7月1日
〔2〕就業場所 東京都港区〈以下略〉
〔3〕配属先 第1営業グループ(以下「第1営業部」という)
〔4〕給与 月次給与 基本給 37万1875円
           業務手当 6万5625円
           合計  43万7500円
      賞与 個人・会社業績により支給(推定年支給額合計700万円)
〔5〕給与支払方法 毎月25日払い(毎月15日締め)
〔6〕職位 営業職(3か月間の試用期間あり)
(4)原告は,平成15年6月27日,転職の紹介を受けたB社の担当者であるC(以下「C」という)から,被告が本件採用内定を留保したいと言って来ているとの連絡を受けた。原告は,平成15年6月30日,被告に電話連絡したところ,被告の人事担当であるD(以下「D」という)は,原告に対し,「あなたに関して悪い噂がある。これらの噂についてA社からの釈明文書を提出してほしい」と指示した。(〈証拠・人証略〉)
(5)原告は,Dの上記(4)の指示に従い,A社に依頼して原告の「悪い噂」が事実無根であるとの釈明文書を作成してもらい,平成15年6月30日,被告に対し,これを提出した(〈証拠略〉,弁論の全趣旨)。
(6)しかし,被告は,本件内定通知を保留するとの態度を崩さず,契約の始期である平成15年7月1日が到来するも,原告に自宅待機を命じた上,「社長がもう一度面接すると言っているので,さらにあなた自身の釈明文書」を提出するよう指示した(〈証拠・人証略〉)。
(7)原告は,被告の指示どおり釈明文書を作成し,平成15年7月3日,被告に対しこれを提出し,同日,被告代表者代表取締役乙山次郎(以下「乙山社長」という),同会長E(以下「E会長」という)の再面接を受けた。乙山社長らは,前記再面接の席上で,原告に対し,再び原告を被告の従業員として雇用する旨約束した。(〈証拠・人証略〉)
(8)ところが,被告は,平成15年7月9日になって再び原告に対し,本件採用内定を取り消すとの主張を始め,同月10日付(同月11日到達)の書面で,本件採用内定を取り消すとの通知をし,以後,原告の出社を拒否している(〈証拠略〉,弁論の全趣旨)。

(9)原告は,再度就職活動をし,平成15年9月16日,株式会社F(以下「F社」という)に入社し,現在も同社に勤務しており,被告の従業員として稼働する意思はない(〈人証略〉)。
2 争点
(1)本件採用内定取消しには,客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由が存在するか(争点1)
【被告の主張】
 被告が,本件採用内定を取り消したのは,次のような理由からであり,本件採用内定取消しには,客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由が存在する。
〔1〕原告は協調性に欠ける性格であること
 原告が周囲との協調性に欠ける性格であることは,かつて原告と同じ職場であるA社に勤務しており現在被告の従業員である者,原告のA社時代の元上司から被告が聴取したこと等から明らかである。
〔2〕A社での勤務態度に問題があったこと
 原告は,A社に勤務していたころ,毎朝他の社員が出勤する前に出社し,行動予定表に行き先だけを書いて誰とも顔を合わせずに外出することが多く、そのまま会社に戻らないことが頻繁にあったこと,代理店を無視してその顧客と直接契約をして,代理店を怒らせたことがあるなどその勤務態度には問題があった。
〔3〕A社を退職する経緯が不明瞭であること
 A社では,原告の報告に基づいて期末に約8000万円の売上げを立てたが,実際には納品するに至らなかったため,大量の不良在庫が発生し,これを処理するために,原告の上司や同僚が大変な苦労をした(以下「本件空売り問題」という)。また,原告がA社を退職するに至る経緯の中で,原告がA社を訴えるというような話があり,そのことに基因して原告は,平成15年に入ってA社に出社していないにもかかわらず,次の就職先が決まるまでは同社から給料を支給されていた。 
【原告の主張】
ア 被告の主張〔1〕は否認する。
 被告の本件内定通知取消しの書面では,解雇理由として被告の主張〔1〕は全く示されておらず,後付けの理屈に過ぎない。
イ 被告の主張〔2〕は否認する。
ウ 被告の主張〔3〕は否認する。
 被告の主張する本件空売り問題は,平成13年のG株式会社(以下「G社」という)からの発注の件と思われるが,当該取引は空売りではなく,原告の責任が問われるようなものではなかった。
(2)原告の被った損害は幾らか(争点2)。
【原告の主張】
ア 未払給与
(ア)本件内定通知取消しには客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由がなく,無効である。したがって,原告と被告との間には,平成15年7月1日から労働契約が成立し,これが継続していることになり,そうだとすると,被告は,原告に対し,平成15年7月1日から同年9月15日までの給与を支払う義務があるところ,被告はこれを支払わない。
(イ)平成15年7月1日から同年9月15日までの間の給与額は次のとおりである。
〔1〕平成15年7月1日から同年7月15日までの間
 被告は,原告に対し,月額給与日割り分である金21万1693円及びこれに対する同支払日の翌日である平成15年7月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
〔2〕平成15年7月16日から同年8月15日までの間
 被告は,原告に対し,月額給与43万7500円及びこれに対する同支払日の翌日である平成15年8月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
〔3〕平成15年8月16日から同年9月15日までの間
 被告は,原告に対し,月額給与43万7500円及びこれに対する同支払日の翌日である平成15年9月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
イ 慰謝料等
(ア)原告は,被告が本件内定通知を発したために,他の就職内定先や就職活動先を断り,また,前職であるA社に退職届を提出して,身辺整理をして被告に出社する日を心待ちにしていた。ところが,被告は,その後,原告に対し,2度にわたって,何ら合理的根拠に基づかずに本件内定通知を保留あるいは撤回したのであり,この間被告の不明朗な対応に振り回された原告の心痛は甚大なものがある。
(イ)原告は,本件採用内定取消しにより,再度,一から就職活動を行うことを余儀なくされ,就職が決定するまでの2か月間,不安定な立場におかれ,心痛を味わった。
(ウ)被告は,さらに,本訴において,原告に対し,原告の性格,A社での勤務態度,退職の経緯等について,根拠なき誹諦中傷を繰り返しており,原告はこれによって,精神的損害等を被った。
(エ)上記被告の行為によって被った原告の精神的損害等は,300万円を下らない。
【被告の主張】
ア 未払給与
(ア)被告は,原告の本件内定通知を試用期間の開始予定日前に事前に留保した上で,合理的な理由に基づいて有効に内定を取消したのであるから,原告に対し,何らの給与も支払う理由はない。
(イ)仮に原告の試用契約が平成15年7月1日から始まっていたとしても,被告は,同年7月11日をもって,原告との試用契約を有効に解約した。したがって,被告が原告に対し支払わなければならない給与があるとしても,それは平成15年7月1日から11日までの給与にすぎない。
(ウ)試用期間中の原告の月額給与額は,基本給37万1875円,業務手当6万5625円であるところ,業務手当は,現実の業務に従事した従業員に対し,業務遂行したことの対価として支払われるものである。したがって,原告が現実の業務に従事していない本件においては,被告が原告に対し,業務手当を支払う理由はない。
(エ)以上によれば,仮に被告が原告に対し支払わなければならない給与があるとしても,その額は,基本給月額37万1875円の11日分に相当する13万1955円(37万1875円÷31日×11日=13万1955円,円未満切捨て)にすぎない。
イ 慰謝料等
【原告の主張】イの(ア)ないし(エ)はいずれも争う。
第3 争点に対する裁判所の判断
1 認定事実

 前記争いのない事実等,証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1)本件採用内定決定までの経緯
ア 原告は,昭和60年に大学を卒業し,同年4月にG社に入社後平成2年3月に同社を退社し,同年4月H株式会社に入社後同6年8月同社を退社し,同年9月にIT関係の開発製造販売を業とするA社に入社した。原告は,G社時代からこれまでの間一貫してIT関係の営業の仕事に従事していた。原告は,平成15年3月ころから転職を考えるようになり,A社にもその意向を告げ,B社等を通じ転職先を探していた。(〈証拠・人証略〉)

イ 原告は,平成15年5月ころ,B社の担当者であるCから,被告を紹介された。被告は,コンピュータの周辺機器の設計・開発・製造及び販売等を業とする株式会社であり,資本金約2億5000万円,従業員数約280名,年商約70億円の会社である。被告は,A社に対し,商品を販売するなどし,両社の間にはこれまで取引関係があり,この関係は現在も続いている。被告とA社とは業務内容が共通する部分があることから,これまでも,A社から被告に転職した者も数人おり,そのうち何名かは平成15年6月当時被告に在籍していた。(〈証拠・人証略〉)
ウ 被告は,平成15年5月,営業職2名程度を中途採用することにし,従業員を採用募集したところ,原告を含む9名が応募した。被告は,平成15年5月28日,採用面接を実施し,乙山社長及びE会長が面接に当たり,原告を含む2名を採用することにした。被告が,原告を採用することにしたのは,物事をはっきり言える性格に好印象を持ったこと,原告のこれまでの経歴から即戦力になりうると評価したことによる。(〈証拠・人証略〉)

エ Dは,平成15年6月3日ころ,Cから,前記ウの採用面接の結果を聞かれた。Dは,Cに対し,原告を採用する予定であることを告げた。Cは,原告に対し,Dの話を伝えたところ,原告は,できる限り早期に採用内定をもらいたい旨話をした。Cは,平成15年6月11日ころ,Dに対し,原告に対する入社手続をできる限り早期に進めてほしい旨申し入れた。(〈証拠・人証略〉)
オ 被告では,原告を配属する予定先の了解をとることなく,平成15年6月16日付で,原告に対し,原告を同年7月1日から被告の第1営業部で雇用するとの本件採用内定通知をした。ちなみに,本件採用内定通知書には,「社内で慎重に審査した結果,あなたを採用内定と決定いたしましたので,ご通知申し上げます」との記載がされている。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)
カ 原告は,本件採用内定通知を受け取った当時,被告以外に採用内定を受けていた会社が1社,最終面接待ちの会社が2社あったが,これらをすべて断り,被告に入社することを決断した。原告は,A社に対し平成15年6月30日付で退職するとの届出をし,身辺整理をして被告に出社するのを心待ちにしていた。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)

(2)本件採用内定保留に至る経緯
ア 本件内定通知を出した被告では,乙山社長が,Dを通じ,原告を第1営業部に配属することを決定した。第1営業部のグループリーダーであるI(以下「I」という)は,原告がA社の従業員であることから,A社から被告に転職し現在第1営業部で働いているJ(以下「J」という)に対し,原告の評判等を聞いた。Jは,Iに対し,営業現場で周囲になかなか溶け込めないことなど性格的に問題があること,早朝出社し誰とも顔を合わせることなく外出しそのまま帰宅するなど勤務態度に問題があること,本件空売り問題があったことなどを話した。そして,Jは,原告とは一緒に働きたくないと述べた。なお,JがA社に勤務していたのは平成11年9月までであり,原告と同じ部署で一緒に働いた経験はない。Iは,Jの意見等を参考に,乙山社長に対し,原告を第1営業部に受け入れることには反対であるとの意見を述べた。Iの反対が強かったため,乙山社長は,原告を第1営業部に配属することを断念した。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)
イ 次に,乙山社長は,原告を第2営業グループ(以下「第2営業部」という)に配属することにし,その旨,同営業部のグループリーダーであるK(以下「K」という)に告げた。Kも,I同様,原告の性格,勤務態度,本件空売り問題,A社の退職経緯が不明瞭等の噂があることを理由に,原告の受け入れに反対の意見を述べた。(〈証拠・人証略〉)

ウ I,Kから原告を受け入れることを拒否された乙山社長は,平成15年6月27日,人事担当のDに対し,本件採用内定を留保し,原告に対する上記ア,イの評判が事実か否か調査するよう指示した(〈証拠・人証略〉)。
(3)被告が原告を再面接するまでの経緯
ア Dは,平成15年6月27日,Cに対し,本件採用内定が留保になったこと,内定留保の原因は原告によからぬ評判があることであり,評判の真偽について調査に協力してほしいと依頼した。Cは,Dの申出を断り,Dに対し,自分からみて原告には噂されるような問題はないと述べるとともに,原告に対し,本件採用内定が留保になったことを伝えた。
(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)
イ 原告は,本件採用内定の留保に驚き,平成15年6月27日,Dに連絡をしたが,同人と連絡が取れず,結局,同月30日になって連絡が取れた。原告は,Dに対し,本件採用内定が留保になった理由を問い質したところ,Dは,原告に対し,悪い噂があり,その噂の真偽調査のため,採用内定が留保になっていると述べた。Dは,悪い噂の内容は,A社において,〔1〕原告の勤務態度,勤怠について問題があること,〔2〕空売りがあること,〔3〕客先とのトラブルがあること,〔4〕社内的に問題視されていること,〔5〕退職に至る経緯が不明瞭であることであると述べ,原告に対し,これらの悪い噂について,A社の釈明文書を提出してほしい旨依頼した。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)
ウ 原告は,平成15年6月30日,A社に対し,前記イの原告に対する5項の悪い噂が事実ではないことの釈明文書を提出してほしい旨依頼したところ,A社は,同日,取締役常務執行役員L(以下「L取締役」という)の名前で,乙山社長宛に,前記5項にわたる原告に対する悪い噂が事実ではないこと,さらに質問があればDとの面談の際説明する用意があるとの文書(以下「本件会社釈明文書」という)を作成しこれを原告に交付した。原告は,被告に対し,本件会社釈明文書を提出した。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)

エ Dは,平成15年6月30日午後3時ころ,A社を訪問し,人事総務担当者,常務執行役員開発担当,常務執行役員営業担当の3名に面会し,疑念視されている原告の悪い噂が事実であるか否か等を調査した。A社の役員3名は,Dに対し,本件会社釈明文書の内容と同様の意見を述べ,原告には問題となるような点はないと述べた。(〈証拠・人証略〉

オ Dは,乙山社長に対し,本件会社釈明文書を提出するとともに,前記エの調査結果等を報告したところ,乙山社長は,原告を再度面接して,自分の眼で確かめてみることにした。そこで,Dは,平成15年7月1日,原告に対し,乙山社長が再度面接するので,原告自身の釈明文書を提出するよう指示した。原告は,Dの指示に従い,原告に対する5項にわたる悪い噂が,事実無根であることを内容とする「わたしの前職における疑義について」と題する書面を作成し,これを被告に提出し,平成15年7月3日に,乙山社長の再面接を受けることになった。(〈証拠・人証略〉)
(4)再面接後,本件採用内定を決定するまでの経緯
ア 乙山社長,E会長は,平成15年7月3日,原告を再度面接し,A社での勤務態度,本件空売り問題,A社を退職する経緯など,原告についての悪い噂が事実であるか否か等を中心に質問し,乙山社長,E会長は,悪い噂は事実ではないと判断し,再面接の席上で,原告に対し,被告の従業員として採用すると告げた。そして,Dは,平成15年7月4日,原告に対し,「本日営業会議で正式に甲野さんの配属先が決定されました。つきましては,ご入社可能の時期はいつかお教え下さい」とのメールを送信した。(〈証拠・人証略〉)

イ 被告では,原告を新規開拓部に配属することを予定していた。乙山社長は,新規開拓部の責任者であるM(以下「M」という)に対し,原告の受け入れを指示した。Mは,第1営業部,第2営業部がともに原告の受け入れを拒否した経緯を知っており,A社内にいる知人に原告の評判を聞いた。Mは,乙山社長に対し,原告には前記(3)イ記載の5項にわたる悪い噂があり,新規開拓部でも原告を受け入れることはできないと述べた。(〈証拠・人証略〉)
ウ 乙山社長は,原告を再面接後,平成12年3月までA社に在籍しその後被告に転職し,現在は被告を退職しN株式会社を経営しているO(以下「O」という)に会い,原告の悪い噂の真偽を尋ねた。OはA社に勤務していたころ原告と同一部署で働いた経験はないが,A社内に知人がいることから,これら知人(原告の元上司である営業グループ長,営業部長)からの話をもとに,乙山社長に対し,原告は単独行動が多く協調性に欠けると評価されていること,退職に至る経緯が不可解であるとの噂があることを述べた。(〈証拠・人証略〉)
(5)本件採用内定取消しの経緯
ア 乙山社長は,新規開拓部の責任者であるMが原告の受け入れを拒否していること,Oから原告には悪い噂があるとの話を聞き,原告の採用を見送ることを決断した。乙山社長は,平成15年7月7日ころ,Dに対し,原告の採用を見送ることを伝え,原告に納得してもらうよう指示した。(〈証拠・人証略〉)
イ E会長及びDは,平成15年7月9日,原告と会い,本件採用内定が取消しになった経緯を伝えた。E会長は,その際,原告に対し,本件採用内定取消しの理由について,原告を受け入れるべき営業の現場がどこも原告の受け入れを拒否をしており,この混乱している状況下において原告を受け入れることは原,被告双方にとってプラスにはならないので,採用内定を白紙に戻したいと説明した。これに対し,原告は,被告にどうしても入社させてほしいとの態度をとり,話合いは物別れに終わった。(〈証拠・人証略〉)
ウ 被告は,平成15年7月10日付(同月11日到達)の書面で,本件採用内定を取り消すとの通知をした。被告は,当該書面で,〔1〕原告を採用する予定でいたこと,〔2〕採用内定取消しの原因は,原告のA社での情報及び被告での伝達情報等が起因し,原告入社による被告内の風紀が著しく混乱を来し,当該事情の解明に被告において努力したが現状の回復には至らなかったこと,〔3〕被告は原告に対し謝罪金として採用内定予定時の1か月分の給与(43万7500円)の3か月分相当の7割である91万8750円を支払うことを通知した。(〈証拠・人証略〉)
エ 原告は,被告の本件採用内定取消しに納得がいかず,弁護士豊崎寿昌に委任して,平成15年8月18日に本訴を提起し,同弁護士に着手金,費用等支払った。原告は,被告が原告の入社を認めない態度をみて,就職活動を余儀なくされ,平成15年9月16日,F社に就職した。原告は,本件採用内定取消しからF社に就職するまでの約2か月間,不安定な立場に置かれ,精神的苦痛を味わった。(〈人証略〉,弁論の全趣旨)
(6)原告に対する悪い噂に対する真偽
ア 原告の勤務態度,勤怠
 A社には出勤簿はなく,原告は同社では営業職であったため,勤務時間の半分程度は外回りであった。原告は,上司に報告連絡をとりながら,営業活動を進めていた。A社のL取締役は,会社釈明書面で,原告のA社での勤務態度について,「問題ありとは認識しておりません。営業員の中で,常に朝一番先に出勤し,夜も遅くまで営業活動して居ります。毎日の,活動も,詳細に渡り,“みんなの日報”に登録,この頻度も,社内随一」と具体的に原告の勤務態度,勤怠について問題がなかったと述べている。(〈証拠・人証略〉)

イ 本件空売り問題,客先とのトラブル
 A社は,平成13年3月ころ,G社から,車載プリンタ8000万円分の注文を受けた。原告は当該取引のA社側の担当者であった。当該取引において,納品をする前に売上げを立てたが,その後,G社から注文の取消しを受けた。原告は,当該取引について,上司であるP営業統括部長と相談しながらその指示に従い,売上げを立てた。このため,原告は,G社から注文取消しを受けたときも,社内で責任を問われるようなことはなかった。
 また,当該取引では,A社は,当初,Q社(R株式会社の関連会社)を通してG社に納品する予定であったが,商談途中で,顧客先のG社から,Q社の対応に不満があるのでA社と直接取引をしたいとの申入れを受け,上司と相談の上,G社の意見に従った。当該取引では,結果として,代理店であるQ社の利益に反したが,顧客の要求でもあるし,上司と相談の上での取引であり,原告は社内で責任を問われるようなことはなかった。
 A社のL取締役は,会社釈明書面で,本件空売り問題について,「そのような事実はありません。一度,大型案件において,客先より注文書を戴き,経営会議の承認を得た上で,売上を立てたが,その後,お客様の都合により,デビットメモを出した事がある,これもトップの承認のもとに行われた事である」と述べ,また,客先とのトラブルについて,「そのような事実は認識して居りません」と述べている。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)
ウ 退職に至る経緯
 原告は,平成15年3月ころ,A社に対し,退職の意向を示し,同年4月1日,人事部総務付になり,その後約1か月間は引継ぎの仕事をした。原告は,平成15年4月の段階で有給休暇が40日残っていたため,これを同年6月30日までに全部使い切り,同日A社を退職した。
 A社のL取締役は,会社釈明書面で,退職に至る経緯が不明瞭か否かについて,「本人の一身上の都合と説明を受けている」と述べている。(〈証拠・人証略〉)
エ 社内的に問題視されているか
 原告は,A社において,上司,同僚等から,その性格等が社内的に問題視されているとの指摘を受け,これを改めるよう指導された形跡はない。かえって,A社のL取締役は,会社釈明書面で,原告が社内的に問題視されているとの噂について,「何をどのように問題視しているのかわかりません」と述べている。なお,乙山社長は,原告に対し,2度の面接を行い,原告の性格等について試験をしたが,特段問題となるような点は見つけられなかった。(〈証拠・人証略〉,弁論の全趣旨)
2 争点1(本件採用内定取消しの成否)について
(1)前記争いのない事実等(3)によれば,被告は,平成15年6月16日付で,原告を被告の営業職として,月額給与43万7500円(基本給37万1875円,業務手当6万5625円),同年7月1日から第1営業部に配属する旨の本件採用内定通知を出したことが認められる。そうだとすると,原告と被告との間で,始期を平成15年7月1日とする解約権留保付労働契約が成立したと認めるのが相当である。
 以上のように原告と被告との間に始期付解約権留保付労働契約が成立している場合において,被告の解約権行使は,客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由がある場合には,当該解約権の行使は適法であるが,そのような事由が存在しない場合には,当該解約権の行使は無効であり,原告と被告との間に労働契約は継続しており,また,解約権行使が違法として解約権行使に伴い原告が被った損害を,被告は相当因果関係の範囲内において賠償する義務を負うと解するのが相当である。
(2)これを本件についてみるに,被告は,平成15年7月10日付(同月11日到達)で,原告に対し,解約権を行使し,本件採用内定を取り消す旨の通知をしている(前記争いのない事実等(8))。そこで,前記認定事実に照らし,本件採用内定取消しが適法であるか,換言すれば,本件採用内定取消しに客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由が存在するか否かについて検討を進めることにする。
ア 被告が本件採用内定を取り消したのは,原告に前職のA社勤務時代に悪い噂があり,その噂は信用するに足り,この噂のため,被告の営業部門(第1営業部,第2営業部,新規開拓部)で原告を受け入れるところがないという点にある。当該悪い噂とは,前記認定事実(3)イによれば,次の5点に集約できる。第1は,原告の勤務態度、勤怠について問題がある点であり,第2は,空売りがある点であり,第3は,客先とのトラブルがある点であり,第4は,社内的に問題視されていた点であり,第5は,退職に至る経緯が不明瞭である点である。
イ 前記認定事実によれば,次の事実が認められる。原告に対する悪い噂の発生源は,A社の元従業員で現在被告に勤務しているJからの情報であるところ,JはA社勤務時代原告と同一の部署で働いた経験はなく,伝聞情報にすぎない(前記1(2)ア)。そこで,被告は,当該噂の真偽を確かめるため,本件採用内定を一時留保し,人事担当のDをA社に派遣して調査をしたり,A社から釈明文書の提出を受けるなどし,その結果,当該噂が真実ではないのではないかとの心証を抱いた(前記1(2)ウ,(3)ウエ)。そこで,被告の乙山社長は,再度,原告と面接し,原告の人物,識見等を観察し,原告を被告に入社させることを決定し,これを原告に告げた(前記1(4)ア)。 
ウ 以上のように採用内定を一旦留保し,調査,再面接後,再度,本件採用内定をした経過に照らすと,本件採用内定取消しが適法になるためには,原告の能力,性格,識見等に問題があることについて,採用内定後新たな事実が見つかったこと,当該事実は確実な証拠に基づく等の事由が存在する必要があると解するのが相当である。
 これを本件についてみるに,前記認定事実((3)イ,(4)イウ,(5)ア)によれば,乙山社長は,平成15年7月3日,再面接の際,原告に対し採用する旨通知した後,新規開拓部の責任者であるMから原告の受け入れを拒否されたこと,かつてA社に勤務しその後被告に勤務した経験のあるOから原告の悪い噂を聞いたことが原因で,本件採用内定を取消したこと,これらの原告についての悪い噂は,乙山社長が原告を再面接する前の噂と同じものであり,新たな事実ではないこと,Oは原告と同一の部署で働いた経験はなく直接原告の人となりを知らないことが認められる。そうだとすると,Mの受け入れ拒否,Oからの情報に依拠して,本件採用内定を取り消すことには,正当な理由,換言すれば,客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由があるとはいえないというべきである(被告も,本件採用内定取消しに客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由があると認めるに足りる証拠が不足していると認識したからこそ,前記1(5)ウで認定したとおり,本件採用内定の取消しを通知するに当たって,原告に対し,3か月分の給与の7割である約90万円の謝罪金を支払う用意があることを申し出たものと推認するのが相当である)。
エ また,そもそも,被告が本件採用内定取消しの事由とする原告の悪い噂には,以下述べるとおり,当該噂が事実であると認めるに足りる証拠が存在しないというべきであり,被告の本件採用内定取消しは,この点からも理由がないというべきである。
 すなわち,被告は,第1に,原告のA社時代の勤務態度,勤怠を問題とするが,前記認定事実((1)イ,(6)ア)及び弁論の全趣旨によれば,A社には出勤簿はなく,原告は営業職であったため,勤務時間の半分程度は外回りであったこと,原告は,上司に報告連絡をとりながら,営業活動を進めており,A社のL取締役は,会社釈明書面で,原告のA社での勤務態度について,具体的事実を挙げながら何ら問題はないと述べていること,被告とA社とはこれまでも取引関係があり現在も従前と同様の取引関係が維持されていることが認められ,これらの事実に照らすと,原告のA社時代の勤務態度,勤怠に問題があったと認めることは困難であり,他に当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
 被告は,第2に,本件空売り問題及び客先とのトラブル(代理店を介さない取引)を問題とするが,前記認定事実(6)イによれば,本件空売り問題,代理店を介さない取引は,いずれも原告が上司と相談の上行ったものであること,当該取引は空売りではなく,違法な取引ではないこと,当該取引について原告は何らA社から責任を追及されていないことが認められ,そうだとすると,本件空売り問題及び代理店を介さない取引を取り上げ,これを採用内定取消しの事由にすることは困難であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
 被告は,第3に,原告のA社退職の経緯が不明瞭であることを問題にするが,前記認定事実(6)ウによれば,原告は残っていた有給休暇を消化し,自己都合によりA社を退職したことが認められ,そうだとすると,原告のA社退職の経緯が不明瞭だということは困難であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
 被告は,最後に,原告がA社社内で問題視されていた,より具体的には,協調性を欠く性格であることを問題とするが,前記認定事実(6)エによれば,原告は,A社において,上司,同僚等から,その性格等が社内的に問題視されているとの指摘を受け,これを改めるよう指導された形跡はなく,かえって,A社のL取締役は,会社釈明書面で,「何をどのように問題視しているのかわかりません」と述べていること,乙山社長は,原告の性格等が社内的に問題視されているとの噂の真偽を確かめるため原告に対し再度自ら再面接し問題ないとして採用することを決定していることが認められ,そうだとすると原告の性格等が社内的に問題視されていると認めることは困難であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
 以上によれば,被告が本件採用内定取消しに用いた情報は,あくまで伝聞にすぎず,噂の域をでないものばかりであり,当該噂が真実であると認めるに足りる証拠は存在しないというべきである。
(3)小括
 以上によれば,本件採用内定取消しには,客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由を認めるに足りる証拠が存在しないというべきである。なお,付言するならば,被告は,原告に対し,本件採用内定通知を出しながら,原告に対する悪い噂があることから一旦は採用内定を留保し,調査,再面接までして再度原告に対し採用内定を決定したのであるから,このような場合,従前と異なる事実が出たなら格別,このような事実が存在しない本件にあっては,3か月の試用期間を通じ,原告に対する噂が真実か否かを見極めるのが相当であるというべきである。被告において,従前と同様の噂に基づき,原告に対する本件採用内定通知を取り消すことは,解約権を濫用するものというべきである。
3 争点2(原告の損害)について
(1)未払給与
ア 前記2で判示したとおり,本件では,被告の原告に対する本件採用内定取消しは無効なのであるから,原告と被告との間には,平成15年7月1日以降,労働契約が締結されていると認めるのが相当である。
イ ところで,前記争いのない事実等(3)によれば,原告と被告との間の労働契約の内容は,月額給与43万7500円(基本給37万1875円,業務手当6万5625円)を,毎月25日払い(毎月15日締め)で支払うとの約定であったことが認められ,被告が本件採用内定取消しを理由に原告の就労を拒否している本件においては,原告は,被告に対し,月額43万7500円の支払を求めることができるというべきである。
 以上によれば,原告は,被告に対し,平成15年7月1日から同年9月15日までの給与の支払を求めているところ,〔1〕同年7月1日から同月15日までの間は,月額給与日割り分である金21万1693円(43万7500円×15日÷31日=21万1693円,円未満切捨て)及びこれに対する同支払日の翌日である同月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金の,〔2〕同月16日から同年8月15日までの間は,月額給与43万7500円及びこれに対する同支払日の翌日である同月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金の,〔3〕同月16日から同年9月15日までの間は,月額給与43万7500円及びこれに対する同支払日の翌日である同月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金の各支払を求める権利を有しているということができる。
ウ なお,この点に関し,被告は,原告の月額給与は,基本給37万1875円,業務手当6万5625円であるところ,業務手当は,現実の業務に従事した従業員に,業務遂行したことの対価として支払われるものであって,原告が現実の業務に従事していない以上,被告が原告に対し,業務手当を支払う理由はないと主張する。確かに,原告は被告において現実の業務に従事していないが,既に前記2で判示したとおり,被告は,客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由がないにもかかわらず,本件採用内定を取り消し,原告の就労を拒否しているのであって,被告のこのような行為がなければ,原告は現実の業務に従事していたことが予想される本件にあっては,被告の前記主張には理由がなく,採用することができない。
(2)慰謝料等
ア 原告は,本件採用内定取消しは違法であり,当該取消しにより300万円を下らない損害を被ったと主張する。
イ 前記2で判示したとおり,被告が行った本件採用内定取消しには客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認できる事由がなく,違法である。そして,前記認定事実及び弁論の全趣旨によれば,〔1〕原告は,被告が本件採用内定通知を発したために,他の就職内定先や就職活動先を断り,また,A社に退職届を提出し身辺整理をして被告に出社する日を心待ちにしていたこと(前記1(1)カ),〔2〕ところが,原告は,被告の客観的に合理的で社会通念上相当として是認できる事由がない本件採用内定取消しにより,被告に就労することができず,この間,被告との対応に負われ,精神的苦痛を負ったこと(前記1(3)ないし(5),弁論の全趣旨),〔3〕原告は,被告の本件採用内定取消しに伴い,再度の就職活動を余儀なくされ,F社に就職が決定するまでの2か月間,不安定な立場に置かれ,心痛を味わったこと(前記1(5)エ),〔4〕原告は,本件採用内定取消しに基づく地位確認,損害賠償請求事件の提起を弁護士に依頼し,弁護士に対し金員を支払うことを余儀なくされこと(前記1(5)エ)が認められる。
 これら本件に顕れた諸事情を考慮すると,本件採用内定取消しと相当因果関係にある原告の損害は100万円であると認めるのが相当であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
(3)小括
 以上によれば,原告の本訴請求は,原告が,被告に対し,208万6693円(未払給与合計108万6693円,慰謝料100万円)及び内金21万1693円に対する平成15年7月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金,内金43万7500円に対する同年8月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金,内金43万7500円に対する同年9月26日から支払済みまで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金,内金100万円に対する不法行為後である同16年1月28日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があり,その余は理由がない。
4 結論
 以上によれば,原告の本訴請求は,主文1項(前記3(3))記載のとおり)の限度で理由があるのでこれを認容し,その余は理由がないのでこれを棄却することにする。
東京地方裁判所民事第36部
裁判官 難波孝