大阪府の代執行についての意見に再々反論してみる。


第一線で働く弁護士さんにコメントを(しかも懇切丁寧な)頂けるとは、とても光栄です。実務家の方とガチで法律の議論をする機会などありませんので、この際胸をお借りして勉強させていただこうと思います。


○これまでのエントリーまとめ

○○○!知恵袋 橋下知事は鬼畜ですか? - いしけりあそび

大阪府の代執行についての意見に反論してみる。

大阪芋畑闘争 疑問におこたえします - いしけりあそび

このエントリー

【追記】以上の議論のまとめです。
大阪府の代執行について、法的観点からのまとめ


執行不停止原則と執行停止原則について

僕はもちろん実務家ではありませんので経験に基づいた意見は述べられないのですが、上に書いてあるとおり日本の行政法は執行不停止原則をとっているのですから、執行するはずです。
たとえば公共工事に対して執行停止の申立てがなされるたびに工事を中断していれば、それこそ永遠に工事はできなくなります。


>→ 本件の執行停止の対象は公共工事ではなくて公共工事のための土地の収容裁決に伴う土地明渡しです。


←←←経緯の説明のところに書いてありますが、もちろん今回の件が「収用裁決に対する取消訴訟に伴う執行停止の申立て」の事案であると言うことは理解しています。
「たとえば〜」以下の文章は、もし執行停止原則をとると、理論上は取消し訴訟を提起することによって工事(大抵実際に争うのは工事の前提となる処分)をいくらでも中断することができる、ということを説明するための例示を極端に言ったものです。本件とはあまり関係ありません。

しかし確かにミスリーディングな表現かもしれませんね。

なお、取消し訴訟および執行停止には原告適格等の訴訟要件は当然あることを前提としています。

ひとつ疑問があるのですが、たとえば原発訴訟において原告適格原発から何メートルのところに住んでいる住民にあるとされる場合、かなり多くの人に原告適格があることになります。
ところで、取消し判決以外の判決には対世効はありません(=行政事件訴訟法32条)。したがってもし現行法の下で執行停止原則を取ったならば、原告適格ある人が本案訴訟を提起して執行を停止させ、敗訴したらまた次の人が本案訴訟(当然出訴期間は過ぎるので、無効等確認訴訟で)を提起して執行を停止させ、ということができてしまう気がするのですが、どうなのでしょうか。

>→ 行政法の本をお読みいただきたいのですが、執行不停止原則とは、本案訴訟にともなう不停止原則であって、執行停止にともなう原則ではありません。執行停止にともなう不停止は、特に誰も論じていません。誰もそんな乱暴なことをしないからです。


←←←上の方の執行不停止原則について説明しているところで「処分の執行に対して取消し訴訟(+執行停止の申立て)を提起しても執行は停止しない」と書いてあるように、一応執行不停止原則については理解しているつもりです。注1に書いたように執行停止の申立てがなされているときには必ず本案訴訟とセットでやるということを前提とし、また今回問題になっているのは執行停止ですから、本案訴訟については暗黙の了解事項として省略しました。
しかし確かにあのような書き方だと理解していないと思われても仕方がないので、今後特に答案を書く際には気をつけます。


石原都知事と橋下府知事

あきる野圏央道に伴う執行停止の経過と比較していただければと思います。あの石原慎太郎だって今度のようなことはやっていませんよ。

2002年9月30日 権利取得裁決・明渡裁決(東京都収用委員会)
2003年1月31日 住民が代執行手続の執行停止申立
2003年6月27日 代執行請求(起業者から東京都知事
2003年8月4日、13日 戒告書の送付(東京都知事から義務者)
2003年9月15日、24日 戒告の期限 → 都はこれ以後しようと思えばできたが、執行せず。
2003年10月3日 執行停止決定 → 都が即時抗告
2003年12月15日 執行停止決定が覆り、代執行が容認 → 住民が特別&許可抗告 → 都はこれ以後しようと思えばできたが、執行せず。
2004年年3月9日 戒告書の送付
2004年3月16日 最高裁が特別抗告等を棄却
2004年4月1日 代執行令書の送付 → その後、住民は自主退去、代執行はなかったようです。


←←←具体的な例を挙げていただき、ありがとうございます。勉強になります。

確かに今回のような代執行は異例であるような気はします。しかし橋下知事がどのような情報に基づいて判断したのか、その資料がない以上、知事がそのように判断したんだからそれなりの理由があったんだろう、と推測するしかありません。
同様に、石原都知事が収用裁決から代執行まであのような手続をとったからといって、それにはそれなりの理由があったと推測することができるだけです。
その理由というのがどちらも分からない以上、石原都知事がこうしたんだから橋下知事の対応がおかしい、というのは反論にはならないと思います。これこそ裁判所が判断することですから。

しかしあきる野圏央道の事例は地裁で執行停止が通ったから一応最高裁の判断まで代執行は待とう、と考えたように思われるのですが。

公共の福祉(公益)の判断について

>→ ほんとうに即通行料の収入源になるのか、それが国の主張しているような金額になるのか、個人が重大な損害を受ける危険があるのか、その損害は金銭で事後的に賠償するのではダメなのか、それを判断するのが裁判所というわけです。
「公共の福祉」(条文では「公益」ではなくてこちらですが、まあ同じです。)とは、金銭損害のことだけをいうのではありません。したがって強制送還だからどう、収容だからどう、とアプリオリに決まるものではありません。個々の事案について、個人の受ける損害の重大性、緊急性、本案の勝訴の見込み、公共の福祉を総合的に考慮して決めます。


←←←これについても当然、収用裁決の事例だからこう、強制送還の事例だからこう、と決めつけているわけではありません。
しかし類型的に収用裁決の場合は公益の要請が強い場合が多く、強制送還の場合は公益の要請はそれほどでも強くない場合が多い、ということは言えるかと思います。

もちろん公益について考えるときには挙げていただいたいろいろな要素を考慮することになりますし、僕も頭の中でちらっと考えたりしていますが、今回は執行停止の申立てがあれば実際に執行停止するのか、という疑問について書いていたのですっ飛ばしました。書いても読んでもらえませんし。
本当は執行停止の申立ての3要件について事実を拾って当てはめてみたかったのですけれど。

今回の事案における「公益」とは通行料収入*1もそうですが、地元の人の利便性がむしろメインだと思います。僕は今は京都在住ですが一応大阪府民です。門真市にも何回か車で行ったことがありますが、あのへんは道がかなりごちゃごちゃしていて、結構混雑しているという印象があります。工業地帯なのでトラックはたくさん行き来しますし、第二京阪ができれば少しは便利になるのではないでしょうか?


ところでこれは僕の当初からの疑問なのですが、今回のような事例で取消し訴訟に伴う執行停止の申立てがされたときは、行政は実際には工事を止めたりするのでしょうか?(執行停止が認められた例ではなく)

公益もしょせんは個人の利益の積み重ねです。個人だから全体の利益に屈するべきという考え方があるとしたら、賛成できません。そして、収用の執行停止が認められた件は(わたしの知る限り)、過去にあきる野一審決定のほかに3件あることにも注目してください。

←←←もちろん僕も、公益対個人では個人が屈するという意見には与しません。しかし総合考慮した結果、公益の方が優先することがあるということは当然認められるべきです。

なお、

>収用の執行停止が認められた件は(わたしの知る限り)、過去にあきる野一審決定のほかに3件ある

とのことですが、あきる野市の件は結局高裁で執行停止の決定が覆され、最高裁でも認められなかったのではないのですか?

執行不停止の申立てを無視した代執行は裁判を受ける権利を奪うか?

>なお、裁判を受ける権利は形式的に保証されればよいものではありません。裁判で勝ってもその内容を実現できないのでは、「必ずしも」裁判を受ける権利を保障したことにはなりません。必ずしも、としたのは、執行停止が認められず、でも本案では勝ったよ、どうしてくれるんだ!という場合がありうるからです。その場合は金銭賠償で満足するしかありません。逆に金銭賠償では償えない損害が生じる場合は、停止をしなければ裁判を受ける権利が侵害されるのだ、ということです。


←←←まず民事訴訟では送達が適法に行われさえすれば訴訟が係属し、たとえ相手方が口頭弁論に出席しなくても対席のもとで裁判がなされたとして原告勝訴の判決が出ます。
すなわち、法律の定める方式に従って弁論の機会さえ平等に与えれば、それで「裁判を受ける権利を与えた」とする制度になっています。(釈迦に説法かと思いますが)
これは「形式的に」弁論の機会さえ与えればそれでよい、という制度になっていると言えるのではないでしょうか。

次に「裁判で勝ってもその内容を実現できないのでは、必ずしも裁判を受ける権利を保障したことにはならない」という点ですが、これは考え方によって結論が変わるところだと思います。
確かにいしけりあそびさんのように、結局権利侵害を防げなかったら裁判を受ける権利を与えたことにはならないというように考えることもできますが、本件においては少なくとも大阪地裁で弁論の機会を与えられ、そして却下されているのですし、取消し訴訟については係属中のはずですから裁判を受ける権利は保障されているということはできます。

逆に、高裁で却下するまで代執行をせずに待っていたらさらに相手が最高裁に抗告した場合、その決定が出るまで待っていないといけないのでしょうか?

僕にはそれは非常におかしなことのように思われます。まして裁決は行政処分であり、行政処分には公定力がある(=裁決が取り消されるまでは裁決は一応有効なものとして扱われる)のですから、極論すれば地裁の決定を待たずして戒告後すぐ代執行してもよかったといえます。
また、本件の場合収用される土地は一応占有しているとはいえ、畑なので別に人が住んでる家を撤去するというような事案ではありません。したがって金銭で償えないような損害が生じるというのも考えにくいと思われます。

したがって、高裁の決定を待たずして代執行をしたからと言って、「裁判を受ける権利を奪った」とはいえないと考えます。


まず収用裁決によってもはや保育園側に土地の所有権はありません。したがって本来すぐに明け渡さなければならないはずです。それなのに明渡しの期限を過ぎてからサツマイモを植え付けているのですから、むしろ子どもがどうの、という話になるのがおかしいのではないでしょうか。

→ その収容裁決を争っているのです。土地の所有権があるというのが彼の言い分です。それを争っているのが執行停止の本案訴訟です。本案訴訟で勝訴すれば明渡しなどする義務はないでしょう?


←←←争っているとはいえ、行政処分である収用裁決には公定力があります。すなわち、土地の所有権があるとして争っているとしても、裁決の取消し判決が確定するまで裁決は一応有効なものとして扱われます(公定力があると言うことの意味)
したがって、保育園の園長が自分の土地の所有権があると主張しても、裁決が有効=所有権は西日本高速道路株式会社に移転していると扱われるのですから、その主張に法的な意味はありません。そこで執行停止の申立てをしているのだから行政は執行を待つべきなのに、執行してしまったのだから、裁判を受ける権利を奪っていると言われるわけですが、法制度上執行停止の申立てに公定力を停止させる効力が認められていない以上、その主張は法的根拠のない意見(希望)であるといえます。


本件における大きな争点のひとつがこの「高裁の執行停止の申立ての判断を待たずに代執行をしたことの是非」だと思います。
しかしこの点については、行政法的にはOKと言わざるを得ません。いつ執行するかという裁量について濫用があったと言えない限り、代執行が違法であったと言うことはできません。


もちろんこのような制度に対して違和感を覚える人は多いと思います。
しかし現にそうなっているのですから、仕方ありません。この状態を変えるには、法律を改正するしかありません。

ところで、平成16年に改正された行政事件訴訟法は、それまでのあまりに使いにくかった行政訴訟について弁護士さんたちが争い、それに応えた判例を反映したものです。

今回の事件で行政事件訴訟法について関心が高まれば、もしかしたら改正の契機になるかもしれませんね。


さて、以下は少し行政法の話から離れて個人的な感想などを書いてみます。

園長の対応について


僕が気になるのは、園長は裁決があってから1ヶ月=収用裁決に基づく明渡し期限の当日に取消し訴訟に伴う執行停止の申立てをしていることです。なぜか収用に対して不自然なまでに周到な準備をし、断固たる対応を取っているのです。
紹介いただいたあきる野圏央道の事例では収用裁決から4ヶ月経ってから執行停止の申立てをしているのですが・・・普通はあーしようこーしようと悩んでからそういうことはするもんじゃないんでしょうか?(いしけりあそびさんも「裁判を起こすのってそんなにカンタンじゃない」、とおっしゃっていますが。)

何でなんでしょうね。

イモの所有権について


色々考えていて思いついたので、イモの所有権について書いてみます。

結論から言うと、法的にはイモの所有権は西日本高速道路株式会社にあると考えられます。

まず、イモは地面に植えられるものです。この植えられている状態を民法的には「付合」といいます。そして民法242条(不動産の付合)は、「不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。」と規定しています。しかしこの条文には但書がありまして、「ただし、権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。」とあります。権原というのは「権利の原因」のことです。すなわち土地に何か植える権利があって植えている場合には、その植えた物の所有権は植えた人にあるということになります。

さて、本件の場合、保育園の園長は所有権が移転(4月10日)した後にイモを植え付けています。すなわち、自分に所有権がない土地にイモを植えているわけです。したがって権原なく植えているため、イモの所有権は保育園側にはなく、土地の所有者である西日本高速道路株式会社にあるということになります。ちなみに同じ趣旨のことを言っている判例(最判昭和31年6月19日)があります。

ということは、園児がイモを掘る=人の物を勝手にとるということになってしまうんですね。(あくまで法的には、ですが)


ちなみに今イモは大阪府が預かっているそうです。まあ、普通に返還するんでしょうね。

*1:通行料については6億とかの額になるかはともかく、開通の遅れ=それだけ通行料収入減といっていいと思うのですが