「勉強ができる」と「頭がいい」の違い(「勉強ができる≠頭がいい」への反論)


今月は、「勉強ができる」ということと「頭がいい」ということについてずっと考えていました。
このこと自体はもう長年の私のテーマだったのですが、ブログに書いていてようやく自分なりの答えらしきものが見つかってきた気がします。

勉強が出来る=頭がいい

僕はそう思って生きてきた。

でも、そのことを否定する意見が多い。

何故だ?世の中には勉強が出来ない奴のほうが多いからか?

そいつらが勉強が出来なくても自分は頭がいいと仮定なしで信じたがっているのか?

本質的な頭の良さは勉強なんてものに関係ないと「勉強もできない」のに主張しているのか?

理由はよくわからないが、負け犬の遠吠えだろうな。
勉強が出来る=頭がいい?


なぜ「勉強ができる=頭がいい」と「勉強ができる≠頭がいい」という意見が両方あるのか。


それは、「勉強ができる=頭がいい」と「勉強ができる≠頭がいい」が両方存在し得るからです。悪戦苦闘しながら両者の関係をGoogleChartで描いてみましたので、ご覧下さい。

お分かりかとは思いますが、"bennkyou"というのが「勉強ができる」人の割合です。*1

緑だけの部分=「勉強はできるけど頭はよくない人」→「勉強ができる≠頭がいい」
赤だけの部分=「勉強はできないけど頭はいい人」→「勉強ができる≠頭がいい」
両者が重なっている部分=「勉強もできるし頭もいい人」→「勉強ができる=頭がいい」


以上を見れば、「勉強ができる=頭がいい」と「勉強ができる≠頭がいい」が両方存在し得ることが論理的にあり得ることは説明できます。


しかしここで問題になるのは、「頭がいい」とはどういうことか?ということと、「頭がいい」と「勉強ができる」の違いは何か?ということ。


この2点について(本質はひとつなのですが)私の考えを述べてみようと思います。

まず「勉強ができる」とはどういうことか?


「勉強ができる」人の3〜4つの条件で書きましたが、「勉強ができる」といえるための条件(のひとつ)は、「試験で点数が取れること」です。そして私が学歴という文脈において「勉強ができる」という言葉を使うのは、「大学受験における全ての試験において点数が取れる」=東大京大に入れるレベルのことを指します。MARCHや関関同立レベルは「勉強ができる」とはいいません。早稲田慶応は微妙なところ。

大京大レベルとそれ以外の大学の違いは、記憶や解法パターンのあてはめだけで入学試験を通過できるか否か。丸暗記やパターンにあてはめるだけで東大京大に受かることは、ほぼ不可能です(たまに受かる人もいますが)。
理由はいくつかありますが、たとえばほぼ100%記述式の試験であるために、問題の趣旨を正確に理解し、それが採点者に伝わるよう表現する力がいることや、特に数学では従来のパターンがそのまま当てはまらない問題が出題される=パターンを知った上で、それを工夫して問題を解く応用力が必要とされるからです。

ちなみに、塾講師のバイトをしている先輩いわく、「国公立で丸暗記が通用するのは阪大まで」らしいです。

なぜ「勉強ができる≠頭がいい」という人がいるのか?


「勉強ができる≠頭がいい」と主張する方のブログのエントリーを以下に挙げます。

勉強が出来る=何がいい? - 404 Blog Not Found
それって勉強じゃないよ - 404 Blog Not Found
勉強できる人が、頭が良い人でない理由をわかりやすく説明してみる - 芸人社長のブログ


彼らが「勉強ができる≠頭がいい」と考える理由は、以下の引用を見ればわかります。

ついでに、「勉強が出来る」が「頭がよい」ことでない説明も。

勉強って、ほとんど頭使わないよね。

人様に言われたことを、やればいいんだから。
勉強が出来る=何がいい? - 404 Blog Not Found

議論をわかりやすくするために、とりあえず言葉を定義しちゃう。

勉強 = 学校、本で学べる知識(大抵、がんばればできる。頭使わない)
頭が良い = 考える能力がある(現実への対応能力が高い)

極論だけどもわかりやすく言えば

勉強ができる = 知識が一杯ある(データが一杯なハードディスク)
頭が良い = 知識を活用できる(CPUやアルゴリズムがすぐれている)

全然違うと思うけど、わかりやすくということで勘弁して。

勉強をするということを如何に楽にやるなど考えてやっている人は、頭が良いと思う。

(中略)

リアルなところでやっている人はわかるとは思いますが。

学生やサラリーマンだとわかりづらいかと思うけど、答えのある問題を解くのは簡単なのですよ。頭を大して使わない。社会に出たら、リアルな世界で答えのない問題を如何に解けるかが重要になってくるわけ。
勉強できる人が、頭が良い人でない理由をわかりやすく説明してみる - 芸人社長のブログ


おそらく以上に挙げたお二人だけではないと思うのですが、「勉強ができる≠頭がいい」と主張する人は

勉強=頭を使わない
勉強=答えがあるから簡単


ということを論拠とします。

○「勉強=頭を使わない」への反論


そんなことをいうのは、「頭を使う」レベルの勉強をしたことないからでは?
弾さんはよく自分は中卒だから、と言ってますし。(カリフォルニア大学バークレー校に入学されていますけど)

○「勉強=答えがあるから簡単」への反論


「答えがある=答えが存在する」ということは勉強が簡単だという主張の論拠にはなりえません。なぜなら、「答えが分からない」状態においては、答えが存在しようがしまいが悩んでいる人にとっては同じだからです。
クイズなどで「本当にそれ答えあるの?」と言ったことがある人は多いでしょう。この問いに対する返事がなければ、仮に答えが存在したとしても、そのことは本人にとってはあまり意味がありません。「もしかしたら答えがないかもしれない・・・」と考えながら悩み続けることになります。


「勉強には答えがあるから、勉強できる人は頭がいいとは言えない」と主張する人は、ビジネスの現場において日々教科書には書いてない問題に取り組んでいる経験からそのように言うのだと思います。
しかしビジネスの現場において問題を解決できるということは、すなわち答えがあるということです。


また、教科書に書いてある知識を現場で使えないことをもって「勉強ができる≠頭がいい」というのかもしれません。
しかしこれはただのひがみだと思います。「勉強ができる」ということと「応用力がない」ことはあまり関係がありません。確かに教科書的な知識にとらわれて肝心の問題が解決できないのなら「頭が悪い」と言われても仕方がありませんが、知識は知識で持っていれば役に立つことは必ずありますし、学問の体系的な思考というのは全体を俯瞰して物事を考えるときに役立ったりします。
むしろ「勉強ができる」人は「応用力もある」ことの方が普通なのではないでしょうか?


とまあつらつらと「勉強ができる≠頭がいい」に対する反論を書いてみましたが、それでもなお「勉強ができる≠頭がいい」というケースは存在します。これは「頭がいい」ということがどういうものかという理解から出てくるものです。


えー・・・結局長くなってしまいましたので、「頭がいい」ということについては別のエントリーで書きます。
皆さんのご意見をお待ちしております。


関連エントリー
勉強ができる子がいじめられる理由
「勉強ができる」人の3〜4つの条件
「『勉強は頭を使わなくていい・簡単』と主張する理由」への反論

「勉強ができる」と「頭がいい」の違い〜本当に大切なこと〜(おすすめ)

*1:GoogleChartは日本語を表示してくれませんでした。ちなみにGoogleChartでベン図は3つ以上の円でないとできませんが、2つだけの円のベン図は3つ目の要素に関する値を全部0にすればできました。メモとして。