「『勉強は頭を使わなくていい・簡単』と主張する理由」への反論

昨日書いたエントリーに対して早速「勉強は頭を使わなくていい・簡単」と主張する理由というトラックバックを頂きました。ありがとうございます。


ドキドキしながら拝見させて頂きましたが・・・最初に感じた感情は「無力感」でした。主張がこれだけ伝わってないのは、私の表現力のつたなさゆえですね。しかしこれ以上詳しく書くとさらに文章量が増えてしまうのです。
ちなみに最初に申し上げておきますと、私は「勉強ができる=頭がいい」という主張をするつもりはありません。いや、ちょっとはするんですが・・・まあ、詳しくは後日のエントリーで。


上記エントリーについて何点か言わせて頂くと、まず反論になっていません。できれば結論を否定するだけではなく論理に飛躍があるとか矛盾があるといった指摘を頂きたかったです。
そして私が自分への反論を想定して書いた部分が華麗にスルーされています。
さらに「勉強は頭を使わなくていい・簡単」という結論ありきの文章になっているため、全く説得力がありません。


具体的に指摘してみます。

勉強は、基本的に答えがあることがわかっているから、いつかは答えにたどり着ける。現実の問題は、答えを知っている人は世の中に一人もいない、または世界中の人が考えても答えが出ていないことがある。

現実的な話をすれば、勉強は、究極誰かに聞けば解決できる問題。現実の問題は、誰に聞いてもわからないし、答えなんて一生でないという問題もある。

ということです。

「勉強は頭を使わなくていい・簡単」というのは、このような現実の問題と比べて「あまり頭を使わなくていい」「簡単」と言っています。


まず、答えがあることがわかっている問題が、答えがあるかわからない問題と比べて「簡単」といえるのはなぜでしょうか?また、なぜ「頭を使わなくていい」のでしょうか?
「勉強ができる≠頭がいい」論者の最大の問題点はこれらを当然の前提としていることです。
これらは決して論理必然ではありません。*1したがって「勉強は頭を使わなくていい・簡単」という主張をするなら、「なぜ答えがある問題を解くことは簡単・頭を使わなくていいといえるのか?」という点について説得的な理由付けが必要となります。「そんなの当たり前じゃないか!」と思われるかもしれませんが、「当たり前の前提を疑う」のは物事を考えるときのセオリーです。

この2つの問題を解決をする場合の頭の使い方が全然違うのが、お分かりでしょうか?


これをぜひ言語化して頂きたいと思います。フィーリングではなく。


なお、私の主張は答えがあるからといって簡単だとはいえない(「難しい」ではない)というものです。そしてその理由は、答えがあろうがなかろうが、どっちにしろわからない状態にある人にとってはわからない=簡単ではないから、というものです。
(本当の主張はこんな対立なんて意味ないよね、ということなんですが、それはまた後日)


○「勉強=頭を使わない」への反論

そんなことをいうのは、「頭を使う」レベルの勉強をしたことないからでは?

弾さんはよく自分は中卒だから、と言ってますし。(カリフォルニア大学バークレー校に入学されていますけど)


反論になっていないというか、意味がよくわからなかったので質問です。
「頭を使う」レベルの勉強とは、どのような勉強を指しているのですか?


「勉強=頭を使わない」への反論として「勉強=頭を使う」という主張は立派な反論だと思うんですが・・・理由はすでに上記エントリーの上の方に書いてあるし芸人社長さんも自ら引用されているのですが、具体例を挙げると、たとえば「従来のパターンが当てはまらない問題を解く」ということです。これはたぶん「頭を使う」作業だといっても差し支えないと思いますが。

クイズなどで「本当にそれ答えあるの?」と言ったことがある人は多いでしょう。この問いに対する返事がなければ、仮に答えが存在したとしても、そのことは本人にとってはあまり意味がありません。「もしかしたら答えがないかもしれない・・・」と考えながら悩み続けることになります。


究極、出題者に聞けばわかるんですけどね。答えがわからないにしても、正解か、不正解かはわかります。
もし、出題者が答えない場合は、答えのない問題で頭を使う問題だと思います。ただ、その問題を解く意義が全くわかりませんが。


試験中に出題者に聞くわけにはいかないと思うんですが・・・

もし、出題者が答えない場合は、答えのない問題で頭を使う問題だと思います。ただ、その問題を解く意義が全くわかりませんが。


え、答えがない(正確には「あるかどうか分からない」)問題を解く意義ってないんですか??

しかしビジネスの現場において問題を解決できるということは、すなわち答えがあるということです。

ということで、上記に書いてきた通り、全く違います。
答えがあるかどうかもわかりません。解決したからといって、正解かどうかもわかりません。そういう問題を毎日考えて生きているのです。

「答えがある」という表現はちょっとミスリーディングかなぁとも思いましたが。
私の「答え」というのは「ある状況において最適と考えられる結果」といったニュアンスです。
ビジネスの現場においては、決断が必要です。その決断が最適かどうかは神でなければ分かりません。しかし「最適と考えられる決断」というものは存在すると思います。それが「答えがある」という言葉の意味です。

そもそも、問題はビジネスだけでもないです。パレスチナ問題、世界的不況の解決策、温暖化をストップする方法、好きな人とつきあう方法、ビジネスに関係ないところでも同じです。何百年勉強しても、何万人が取り組んでも解決できない問題ですよね?

これらは確かに「難しい」問題です。しかしだからといって「答えがある」問題を解くことが「簡単」だとはいえないのは、上述の通りです。

むしろ「勉強ができる」人は「応用力もある」ことの方が普通なのではないでしょうか?


普通じゃないのですよ。普通じゃないから言っているのです。現に勉強ができるから、自分は頭がいいんだって思っちゃう人がいるわけですよ。

私は蓋然性の話をしているつもりなのですが・・・おそらく「勉強ができるならば必ず応用力がある」というように理解されたんだと考えておきます。



最初にも申し上げましたが、反論らしき反論はほとんど見あたりませんでした。ただ「勉強ができる≠頭がいい」という主張を理由付けなしで繰り返すのみでしたから。


一連の議論を見ていて思うことは、はっきり申し上げれば「勉強ができる≠頭がいい」と主張する人たちは「答えがない問題=本当に難しい(と自分が思っている)問題に取り組んでいる俺かっこいい」といっているようにしか見えないということです。
別にそのような価値観を抱くことは構いませんし、「勉強ができる≠頭がいい」というケースが存在することは認めますが、その価値観を一般化してしまうのはいかがなものか、と思う次第です。あと「頭がいい」ということについて何ら論証せずに「勉強できる≠頭いい」と主張するのも、どうなんでしょうか。

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*1:「答えがない→難しい」の対偶は「簡単→答えがある」であって、「答えがある→簡単」ではありません