「勉強ができる」人の3〜4つの条件


昨日のエントリーで反響をいただいたので、引き続き「勉強ができる」ということと「頭がいい」ということについて考えていました。実はこれは私の長年のテーマでもあったのですが、今ならうまくまとめられる気がするので勢いで書いてみます。


まず、私は「勉強ができる」ということと「頭がいい」ということは明確に区別しています。「勉強ができる」というのは、「学校の試験でいい点を取ることができる」という意味で、「頭がいい」というのは、「勉強ができる」とある程度は重なっているのですが、より広い概念です。この2つの関係についてはまたいつか書きます。

1つ目の条件


「勉強ができる」といえるための1つ目の条件は、試験で点数が取れること。試験で点数が取れなければ、いくら「頭が良い」と言われても「勉強ができる」とは言えません。

理由は「勉強ができる」という言葉の定義が「学校の試験でいい点を取ることができる」だからです。(トートロジーですが)

2つ目の条件


2つ目の条件は、「学ぶことが好き」、つまり何か新しいことを学ぶことを楽しいと感じることができることが必要です。知的好奇心が旺盛とでもいいましょうか。学ぶことに楽しさを見いだせない人が勉強できるようにはならないということは、自明のことと思います。
ただし「学ぶことが好き」ということは「勉強することが好き」と同義ではありません。勉強するのは嫌いだけど自分の興味がある分野なら一心不乱に取り組むということは割とよく見られるからです。




以上の2つの条件は「勉強ができる」といえるための必要条件です。学ぶことに興味を覚えられなければそのうち試験の成績は落ちていきますし、学ぶことが好きでも試験で結果を出せなければ「勉強ができる」とはいえません。ですから両方が絶対に必要です。


さて、3つ目と4つ目の条件は、この条件を満たすレベルが高ければ「勉強ができる」といえるものです。これらは相関関係的なもので、(上記の2つの条件に加えて)3つ目の条件と4つ目の条件を数値化してかけ合わせた値が高ければ「勉強ができる」といえると考えられるものです。*1

3つ目の条件


3つ目の条件は、「相当な努力ができること」です。これは必要条件じゃないか、という方がおられるかもしれませんが、確かにある程度の努力は必要です。しかし世の中には、自分ではそれほど努力はしていないつもりだけれど試験ではなぜか点が取れてしまう人、というのが少なからず存在します。しかし圧倒的な努力でカバーする、という人も当然存在しますので、十分条件としました。

4つ目の条件


4つ目の条件は、「ポテンシャルが高いこと」です。これについてはちょっと長く書きます。

「勉強ができる」人の中には、勉強は嫌いだからあまり努力はしてないけど、ポテンシャルでカバーできてしまう人がいます。これが3つ目の条件の所で書いた「自分ではそれほど努力はしていないつもりだけれど試験ではなぜか点が取れてしまう人」です。多くの人にとっては理不尽極まりないと感じられるのですが、なぜか点が「取れてしまう」と表現されるように、本人はなんでだかよくわかりません。「点取れちゃうんだから仕方ない」としか言いようのない状態です。

ちなみに努力とポテンシャルを双方兼ね備えている人は、どの分野でも突き抜けられます。努力する天才というやつです。文章やコメントから察するに、id:pollyannaさんはこのタイプじゃないかと思います。

余談かつ個人的な印象ですが、東大生には努力(+ポテンシャル)型が多く、京大生にはポテンシャル型が多い気がします。仮説ですが、これは入試問題の違いが原因だと思います。というのは、東大の問題は英語にリスニングがあったり、センター試験で社会が2科目あったり、本試験の国語の問題数が多かったりと、京大の問題と比べれば地味にいろいろめんどくさいのです。つまりポテンシャルに加えてかなりの努力がないと東大には入れない。
一方京大の本試験の入試問題は、答案用紙にでっかい枠があってここに好きなだけ好きなように書け!という形式。なのでポテンシャルがあればなんとかなってしまう気がするのです。
ちなみに「東大は100人の秀才を生むが、京大は99人の凡才と1人の天才を生む」と言われることがあるのは、以上のような入試形態の違いにあるんじゃないかとにらんでおります。


閑話休題


では、「ポテンシャル」というのは一体何なんでしょうか?

ポテンシャルとは?


試験前に「あいつはポテンシャルあるからな〜」とか「ポテンシャルで何とかするわ」といえば通じる人には通じるのですが、いざ説明しようとすると難しい「ポテンシャル」という言葉。ですが、考えてるうちにパソコンのパーツでうまいこと例えられる気がしたので、書いてみます。

CPU


地頭力」「思考力」などと呼ばれる力。「頭の回転の速さ」とも呼ばれる。最も重要な能力。

HDD


記憶力のこと。CPUのスペックが低くても記憶力でカバーできることは多々ある。

メモリ


事務処理能力のこと。メモリが多いと一度に多くの事柄を処理できる。

バッテリー


知的体力のこと。集中力の持続力とも言い換えられる。

マザーボード


上記の4つの能力で出した結果を出力するための能力。いくら頭が良くても、答案上で表現できなければ意味がない。



「ポテンシャルが高い」というのは、以上の5つの能力全てが高い状態です。パソコンもそうですが、どれか一つでも能力が低いとそれがボトルネックとなってポテンシャルは発揮できません。ちなみに森博嗣のS&MシリーズとVシリーズに出てくる天才・真賀田四季は、以上に上げた能力すべてが圧倒的に高いです。
詳しくは以下の本(4部作)をご覧下さい。(ただしS&Mシリーズ10冊+Vシリーズ10冊を読んだ後の方が楽しめます)

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うまいことまとまってるのかまとまってないのかよくわかりませんが、「ポテンシャル」と呼ばれるものが「勉強ができる」といえるための要素になっていることは、確かだと言えます。


長くなったので、「頭のよさ」と「勉強ができること」の関係とかいじめに対する「勉強ができる子」の対処法といったエントリーは、また今度書いてみようと思います。

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*1:タイトルが3〜4となっているのはこの理由によります