京都のコンビニ深夜規制が憲法的にアウトかもしれない3つの理由


京都在住の僕にとっては切実な問題なので、書いてみます。
将来コンビニの深夜規制を定める条例が制定された場合を想定しています。

憲法22条1項(営業の自由)について

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。


憲法22条1項は職業選択の自由について定めています。ところで自由に職業を選択し、仕事を始めたところで、営業する自由についても保障されていなければ職業選択の自由を定めた意味がありません。
したがって明文では書かれていませんが、憲法22条1項により営業の自由も保障されます。これは判例も認めています。

さて、今回問題になっているコンビニの深夜規制は、現在は許されているコンビニの深夜に営業する自由を制限するものですから、コンビニの営業の自由が侵害されているといえます。

しかしもちろん営業の自由は無制約に許されるものではなく、社会経済政策や他の国民の人権やらなんやらにより制限されます。これが「公共の福祉に反しない限り」ってやつです。


ではこの制限が許されるかどうかはどうやって判断するのでしょうか。

試験の答案だとここでまたごちゃごちゃと書かないといけないのですが、答えだけ。

コンビニの深夜規制が著しく不合理でない限り合憲


これについて考えます。

深夜規制は憲法22条に反しないか


結論から言えば、ほぼ100%合憲です。


京都市の「環境モデル都市提案書(pdfファイル)」によると、コンビニ深夜規制の目的は「低炭素型のライフスタイルの実践」なんだそうです。ちょっと意外だったのですが、二酸化炭素を減らすために市民のライフスタイルを変えよう、という取り組みの一環のようですね。

ところで、今回の場合のような社会経済政策についての規制は、行政の方が色々知ってるし適切に判断できるよね〜ということで、裁判所はほとんど介入しません。どう考えても不合理やろ、という場合だけ違憲判決を下すのですが、今までこのような類の規制に違憲判決を下したことはありません。


というわけで、コンビニの深夜規制が憲法22条1項(営業の自由)に反するものとはいえないようです。

ただし「市民のライフスタイルを変える」という目的が正当かどうかは、少し怪しいところです。

憲法14条(法の下の平等)について

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。


たぶん日本国憲法の中の条文では割とメジャーな部類に入るかと。

14条は国家は国民を不合理に差別してはいけないということを定めたものですが、この条文は「合理的な理由に基づく」差別は許される、と解釈されています。なぜなら人というのはそれぞれ違うので、その個人の差異も無視して平等に取り扱うことは逆に不平等になるからです。


ではなぜコンビニの深夜規制で14条が問題になるのか。

深夜に営業しているのはコンビニだけではなく、カラオケ・飲み屋やファーストフード店なども営業しているからです。コンビニの深夜営業に規制をかけて他の店を規制しないのならば、その区別には合理的な理由がなければなりません。

これについて検討してみます。

深夜規制は憲法14条に反しないか


あくまで私見ですが、コンビニの深夜規制は憲法14条違反になる可能性が高いように思います。

24時間営業しているコンビニの扱いを他の店と区別することが合理的であるといえなければ憲法14条違反になりますが、ほとんどそのような合理的理由は考えられないからです。

コンビニの深夜規制が合理的でない理由として主張されているものを、いくつかまとめておきます。

○コンビニの深夜規制が合理的でない理由

  • 深夜に閉店したとしても冷蔵庫は稼動しているので、あまり消費エネルギーは減らない
  • 深夜に配送ができないとすると道が混雑している昼間・夕方に配送することになるため、その分エネルギーがかかる

→トータルではほとんどCO2削減にならない

  • 京都には大学が多い(京都市役所から半径10キロ以内に27の短大・大学)=大学生が多いため、深夜のコンビニ利用者も多い
  • 早朝・深夜にコンビニで買い物をする必要がある労働者も相当数存在

→コンビニの深夜営業に対するニーズがかなり高い

  • 飲食店は照明と食材を保存する冷蔵庫で電気を消費するのに加えて火を使用するのだから、CO2排出量はコンビニより多いはず

→飲食店を規制しないのはおかしい

  • コンビニのCO2排出量は全産業の1%。一番排出量が多いのは工業。

→コンビニより他に規制すべき産業はいくらでもある+コンビニを規制しても実効性が低い


しかしこの問題を考えるに当たっては、少し注意しなければならないことがあります。それは、京都市のコンビニ深夜規制の目的がCO2削減のためだけではない、ということです。
上のほうに書きましたが、京都市低炭素社会を実現するためといって、市民のライフスタイルを夜型から昼型に変えようとしています。さらに他の目的として景観保持といったこともあげています。
どうやら人や景観といったものをひっくるめて環境と呼び、この意味での環境をよくしようとしているようです。(門川市長記者会見より)


しかし景観保持に対しても反論はできるかと思います。

  • コンビニは京都市内に500数十店あるが、コンビニ以外の深夜営業している店を全部合わせれば、確実にコンビニより多い

→景観はほとんど変わらない=コンビニだけを規制しても意味がない

  • そもそも夜の景観を今以上に規制することに意味があるのかが疑問。もはや都市の文化として定着し、一風景となっているコンビニの深夜営業を規制してしまうと、ただ単にさびれた光景になるのではないか。


結論としては、やはり憲法14条違反になる可能性はかなり高いと考えます。

憲法13条について

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


憲法13条は、憲法のすべての条文の中で最も重要だと考えられています。なぜなら、憲法の根本原理=究極の目的が個人の尊重にあるからです。基本的人権の尊重・国民主権・平和主義という憲法三大原理を中学校で習ったかもしれませんが、これらはすべて個人の尊重を保障するための手段に過ぎません。別に憲法の原理が3つしかないわけじゃなくて、説によっては4つあったり5つ言ってみたりしています。

憲法13条は自由権の総則的規定といわれており、憲法に書かれていない自由権をカバーする役割を果たしています。例えば名誉権とかプライバシー権、自己決定権などは憲法には載っていませんが、13条で保障される権利として判例も認めています。

さて、コンビニ深夜規制で問題になるのは自己決定権、具体的に言えば「深夜にコンビニを利用する自由」とでも呼ぶべき権利が侵害されているかどうかです。

深夜規制は憲法13条に違反しないか


ロースクールはめっちゃ忙しいんや!
日が変わる前に帰れることもあんまりないんや!!
深夜に疲れて帰るときにコンビニ寄って立ち読みしてアイス買って帰るくらいさせんかい!!!



えー、つい本音が出てしまいましたが、結論からいえば深夜規制で憲法13条違反を主張して争うのは難しいように思います。そもそも「深夜にコンビニを利用する自由」というものが憲法上保障すべき自由権であるとは考えられていない=それをある程度合理的な理由のある条例で制限しても違憲にはならないからです。
ただやはり市民のライフスタイルそのものを変えようとするのは、13条との関係で問題になる可能性が全くないとは言えません。現実に深夜・早朝にコンビニを利用したいというニーズはあるし、しかもそのような時間に利用するのは労働環境のせいだったりするので、ライフスタイルを夜型から昼型に変えたいのならばまず市内の労働状況を変えろ、という反論も可能でしょう。

すなわち、意味があるのかもまだよく分からないCO2削減をするためにコンビニを規制する前に、まずコンビニを深夜に利用しなければならない長時間労働を先に何とかしろ、ということです。



長々と論じてみましたが、いかがだったでしょうか。


京都市は最初は条例は制定せず、自主規制に任せるようですが、この問題の背景にはなんとなく環境によさそうだからという最近はやりの思考停止的価値判断が働いているような気がしてなりません。

人類が地球上で生活することは地球を痛めつけることになるという点は疑いがないところでしょうから、地球環境の保全は真剣に考えなければならないとは思います。しかし温暖化に関しては、そもそも地球は温暖化しているのかを疑う学説もありますし、温暖化が進んでいるとしても二酸化炭素は温暖化の原因ではないとする主張も有力です。

脊髄反射的に環境にやさしそうだからといって人々の行動に規制をかけるのは、少しやりすぎなのではないかと思います。