裁判員制度は本当に「不公平」か?


アゴラ : 算数のできない人が作った裁判員制度 - 岡田克敏というエントリーを読んで違和感を覚えたので、このエントリーに対する反論および裁判員制度の積極的な意義について考察してみようと思います。

裁判員制度は公平性を無視しているのか?


元エントリーを書かれた方が一番いいたいのは、おそらくこの部分↓

以上述べてきたように、裁判員制度は民主主義や国民主権を実現するという空虚な理念ばかりが重視され、裁判で最も大切な公平性や精度を軽視していると考えざるを得ません。
アゴラ : 算数のできない人が作った裁判員制度 - 岡田克敏


岡田さんの言われる「公平」の意味は、元エントリーの以下の部分からわかります。

被告人にとって、いや裁判にとってもっとも大切なことは公平性だと思います。つまり同じような犯罪には同じような刑が科せられることです。判決にこのような大差がでても「当然」とする最高裁の感覚は凡人の常識では理解できません。


元エントリーの最大の弱点はここにあります。
つまり、「公平」とは「同じような犯罪には同じような刑が科せられること」ではないのです。これはなぜか?

すべての刑事事件は内容がバラバラなのだから結論が同じになるはずがなく、それを「同じような犯罪だから」という理由で同じような刑を科してしまうと、かえって被告人の人権を侵害することになるからです。
刑事事件においては、そもそも被告人からしてバラバラです。まったく同じ店でまったく同じ物を盗んだ万引き犯でも、初犯の人と窃盗の前科10犯の人では刑は変わってくるのが普通だと思います。初犯の人同士を比較したとしても、法廷での態度次第で刑が変わってくることも考えられます。
さらに、「同じような事件」というのは何が同じであればいいんでしょうか?上の例のようにまったく同じ店でまったく同じ物を盗んだ場合でも結論が変わってくるのに、実際にした犯罪行為も場所も被害者も何もかもがすべて異なる刑事事件において、「同じような事件」というものは非常に考えにくいものです。
また、仮に似たような事案であっても、そもそも量刑判断は裁判官によって、そして時代によってもかなり異なります。たとえば、飲酒運転で人を轢いたことに対する量刑は、時代の流れを反映して厳罰化が進んでいます。これは昔と今とで量刑が異なるということですが、不公平でしょうか?


「同じような事件だから同じような刑を科す」という考え方は刑事事件のそれぞれの特殊性などを捨象してしまい、その結果被告人の権利を害してしまうし、決して「公平」ではないということは以上からお分かり頂けるのではないでしょうか。

裁判における「公平」とは何か?


裁判における「公平」とは、すべての人に法律で定められた手続が保障されるということです。罪を犯した人はすべて裁判所で裁判を受け、刑事訴訟法その他の法律に則って裁かれます。その中で法律に定める手続がすべて保障されることが、「公平」に裁かれたということです。
法律で最低限定められた手続は保障するけれど、それ以上のことは何もしない。「公平」はこのように理解しないと、上述の通り「不公平」な結果を生じかねないのです。



しかしそうはいっても、「法律の素人がした判断なんて信じられないし、結論がバラバラになるのはやっぱり納得がいかない!」と思われる方はいると思います。

長くなるので、次のエントリーにて「裁判官と法律の素人の判断は違うのか?」という点についての考察を通じて、結論がバラバラになる理由・なってもいい理由を考えてみようと思います。


次エントリー→裁判員制度の意義〜なぜ判決がバラバラになっていいのか?〜