近所づきあいにおける違和感
先日実家に戻ったときのことです。
実家の斜め前の家が、前に帰ってきたときはまだ建築中だったのですが、今回帰ったときにはもう完成していました。
母に聞いたところ、引っ越しや新築の挨拶などは何もなかったとのこと。
まあ、これはいいです。もう挨拶なしなんて最近では珍しくなくなりつつあるので。
問題はこのあとです。
この家、表札がないんです。玄関付近には番地を示す緑色の板があるだけ。だからいったい何という名字の人が引っ越してきたのかさえ分かりません。家の駐車場には真っ白のクラウン。ある程度お金持ちなんでしょう。
引っ越しの挨拶をしないというような、消極的な近所づきあいの拒絶は、まだいいです。
しかし隣近所に自分の名字さえ知らせないという、積極的に近所づきあいを避けるかのようなふるまいはどうなんでしょうか。
日本の昔ながらの共同体的な意識はもうガタガタになっていますが、それにとどめを刺したように感じられました。
ちなみにこの家、ポストもありませんでした。いったいどうやって郵便を受け取るんでしょうね。