教育改革と地域活性化と雇用創出を一挙に実現できるかもしれない政策を提案してみる。

いきなり突拍子もないタイトルですが、これは私が自分の経験を基に8年ほど考え続けてきたものです。現実的可能性はあまり考慮していませんが、興味がある人は読んでみてください。

今の日本の社会が抱える問題


今の日本が抱える問題は少子高齢化、不況、社会保障制度の崩壊などなどたくさんありますが、私が今すぐに取り組むべきと考えているのがタイトルにあげた3つです。つまり、教育改革・地域活性化・雇用創出です。なぜなら、これらは解決を長引かせて事態を悪化させてしまうと、もう元には戻せない不可逆的な問題だからです。

まずは教育について。

ここでいう教育は試験で点数を取れるといったことではなく、人としての人格やモラルを指しています。教育っていうのが何のためにあるかというと、つまりは「人がひとりで社会の中でうまくやっていけるようにする」、そして「人の集まりである社会がうまく存続できるようにする」ためだと思います。しっかりした人格とモラルを持っていれば、大成功*1することはできないにしても、それなりに周りの人とうまいことやっていけます。また、教育は社会のこれからを支える人材を生み出す重要な手段ですから、教育の質が下がればこれからの社会の質自体が下がっていき、そうなってしまえば質の低下を取り戻すことはもう無理であろうことは容易に想像できます。

現在日本の学校で行われている教育は、そこまで失敗しているとは思いません。id:dankogai氏はよく日本の教育をこき下ろしていますが、そこまで捨てたものではないと思います。そこまで褒められたものでもないけれど。
例えば数学。よく「算数は大切だけれど数学の知識なんて要らない」と言われますが、大切なのは知識ではなく、数学を学ぶ過程で得られる色々な思考法です。帰納法(さまざまな事柄から共通点を見つけ出す)や演繹法(ある原理をさまざまな事柄に適用する)的な考え方は、日常でも無意識的に使っているはずです*2。また、公理を基礎としてロジックをひとつずつ積み上げていく論理的思考も、数学で鍛えることができます。これらの思考法は生きていくうえで必ず必要になるものですし、私が受けてきた教育を基に語ることしかできませんが、少なくとも現在の日本の教育は、以上の思考法を鍛えるという点ではそれほど大失敗はしていないように思われます。

しかし今の日本の教育で決定的に欠けているのは、「人がひとりで社会の中でうまくやっていけるようにする」ことができてない点です。これは基本的には学校で教えることではありません。保護者が山のように押しかけた東大の入学式で安藤忠雄名誉教授が苦言の祝辞を送ったのは、去年の春のことでした。日本は「子の親離れ」のみならず、「親の子離れ」が双方ともにできていないのです。この2つの言葉に共通するキーワードは、「他者への依存」です。結局、人は皆ひとりで生きていくしかありません。「人という字は人と人が支えあってできている」とよく言われますが、周りの人の支えはあったとしてもあくまでそれは支えです。自分で立つことを他の人に代わってもらうことはできません。
逆に、「ひとりで立つ」ことさえできれば、その人は社会の中でやっていくことができるでしょう。もちろんそのためには精神的な自立以外にもさまざまな能力が要求されますが、精神的な自立ができていなければ自分だけでなく周りの人間も潰してしまいます。このような事態の悪化を防ぐためにも、「自立」というものを公教育に取り込むことを真剣に検討すべき時期に来ていると考えます。

地域活性化について


今、地方の人口減少率は深刻です。以下は統計局のHPから拝借した図です。

地方の人口減少率は平成7〜12年より平成12〜17年の方が悪化しており、また、人口が減少しているのは田舎ばかりという実態が見て取れます。
私が小学生の時にいた長野県の村のある地域では、現在子どもが2人しかいません。村の方は「子どもがひとりも歩いていない風景は、異常だね。」とおっしゃっていました。地方から人がいなくなって失われるのは建物や人影だけではありません。地方に根付く文化が失われます。文化が一度失われてしまえば、もう元に戻すことはできません。田舎に色濃く残る日本の文化が廃れていくことは、今すぐ食い止めるべきではないでしょうか。

地域活性化のための対策は、ただひとつ。「都会から田舎へ人を移す」以外にありません。現在なされている地域活性化の取り組みはほとんどが観光の振興であり、そしてその取り組みはあまりうまくいっていないことは、地方に旅行したことがある人が目にする光景から明らかです。ですから、まさに一時的ではなく「一定期間人を移住させる」という政策が必要になってきます。これについての詳細や問題点については後で述べます。

雇用創出について


7月の完全失業率が5.7%で過去最悪を更新したのは記憶に新しいところです。しかも日本の失業率の計算における「失業者」というのは、「仕事がなく、仕事を探している者」であって、「仕事がなくて、仕事をしたくとも、仕事を探していない者」は失業者にカウントしていないため、実際に仕事をしていない人は失業率の数字以上に存在することになります。
今の日本の失業における問題点は、「一度ドロップアウトしてしまえばもう元には戻れない」点にあります。一度正社員を辞めればもう正社員になることはできず、派遣社員から正社員への道も望めない。このような、一度の失敗で働く機会さえ失いかねない社会では、季節や景気の変動こそあれ、失業者は増加の一途をたどるでしょう。

失業対策といえば、もちろん職を用意すること。この詳細についても以下で述べます。

ようやく本題の政策について。


長々と述べてきましたが、ようやく本題です。もしかしたら以上の問題を解決できるかもしれない、と思った政策の概要について述べてみます。もっとも、こういう問題があるからこういう政策がいいと思ったのではなく、こういう政策があったらいいかもしれない、が先なのですが。

さて、概要を箇条書きで列挙します。

  • まず小学校4年くらいの公立小学校に通う小学生を、地方に移住
  • 親は付き添わない。子どもだけ
  • 親元に帰るのは長期休暇中だけ
  • ひとつの村に20〜30人くらいの小学生が共同で生活し、生活や食事の管理は数人の指導員が行う
  • 小学校は地方にある学校に通い、普通に授業を受ける
  • 携帯やゲーム機などの所持は一切禁止
  • 学校にいる時間以外は、共同で生活する場所で過ごす
  • 食事もみんなで一緒に食べる

細かいところを抜きにすれば、こんなところです。この制度は、私が小学生の時に行っていた山村留学をベースに考えたものです。私は小学生4年から6年まで、長野の北の端にいました。親は実家の大阪にいたままでです。そこには西は鹿児島から東は千葉まで全国各地から小学生が集まり、しかも下は小1から上は小6までが一緒に生活していました。別にここで生活していた人は何か問題があったわけではありません。自分の子どもに田舎でのびのびと暮らし、自立心を養ってほしいと考える親が、こうした民間の制度を利用していただけです。最初はホームシックにかかる子もいましたが、1ヶ月もすれば慣れてみんなと一緒に遊ぶようになります。ちなみに私はまったく寂しい素振りすら見せないかわいくない子どもでしたが。

山村留学の教育的効果


山村留学中は、料理はつくってもらえますが、それ以外は基本的に自分でやります。掃除や洗濯、勉強等々。必然的に、子どもはものすごくしっかりせざるを得ません。実家にいれば自動的にされていた家事のほとんどを、自分がやらないといけないわけですから。
また、20〜30人の小学生が集まった場所は、ひとつの社会を形成します。この社会の中では他の人とうまくやっていくために、「私を特別扱いしてほしい」とか言うことは許されません。自然と協調性が身につきます。
さらに、こういった環境で一緒に過ごした友人とは、普通に学校で遊ぶだけの友人と違ってずっと深い関係になることができます。ゲームや携帯はありませんから、遊ぶといえば学校のグランドでサッカーするか、山の中に入って秘密基地つくるか、川遊びをするか。私が小学生時代を一緒に過ごした友人は、実家の大阪の中学時代の友人とはかなり違う関係を持っています。こういうのを絆、というのでしょうか。
私が行っていた山村留学では、毎週火曜日、「里親」という制度がありました。これは火曜日の放課後はいつもの共同で生活している場所に帰るのではなく、村の人のところに帰って泊めていただくというものです。村の色んな話を聞いたり、普段は食べられないものを食べられたりしました。人の家にお世話になるので、礼儀作法も学ぶことができました。
今思えば、山村留学では「人として大切なこと」をたくさん学ぶことができたように思います。そして、こういったことがこれからの教育には必要になってくるのではないでしょうか。

山村留学の地域活性化効果


現在、日本では1年間に約110万人が生まれます。したがって、1学年には110万人いることになります。そして、そのうち98%は公立小学校に通う*3ので、ほぼ110万人が地方へと拡散することになります。また、この制度を2年間行うのであれば、220万人が地方へ移動することになります。そうすれば、その分消費が増大することになります。
山村留学の地域活性化効果は子供が増えることによる消費の増加だけにとどまりません。自分の子どもが地方にいれば、親は何かのイベントがあったときに見に来ます。親が運動会や学芸会といったイベントに来ればその地方の宿泊施設や観光施設を利用しますし、お土産も買って帰ります。つまり“外貨”が村に入るわけです。私の親も2ヶ月に1回は来てたような気がします。

山村留学の雇用創出効果


まず、この制度には子どもの面倒を見る指導員の存在が不可欠です。大体子ども7〜8人につき1人は必要ですから、15〜6万人です。しかし指導員になるために、特別な勉強は必要ありません。私が小学生のときに指導員だった人は、大学を卒業してすぐに指導員になった23歳の方でした。指導員に必要なのは、子どもに人としてのあり方を教え、まとめることができるということと、体力だけです。ですから、何歳でもこの仕事はすることができます。それこそ23歳から上は60歳でも可能です。むしろ色んな人生経験を積んでいる人の方がいいかもしれません。リストラされた人でも、定年退職した人でも、派遣の人でも誰でもOKです。この制度自体に直接必要なのは他にも料理を作る人や、この制度を管理する連絡所のようなものがいります。
さらに、地方に来る人が増えますので、村の色んな施設の人手が必要になります。これは地元の雇用を増やすことにつながります。

他の付随的効果


他思いついた効果を以下に列挙します。

  • 医療が必要となる対象者が増えるので、無医村がなくなる
  • 車で移動する親が増えるので、車の販売台数が増える
  • 地方への交通手段が整備される
  • 教育の地域格差の改善も見込める
  • そのまま地方に残る子どもも一定数いるので、安定的な地方の人口増が見込める

etc...

この制度の問題点


もちろん、この制度にはいろいろ問題があります。
まず、憲法22条1項の居住移転の自由を侵害しないか、この制度が「公共の福祉」に反するかどうかが問題となります。もっともこの規定違反についての判例は存在しませんので、結論がどうなるかはわかりません。また、親の教育権を侵害するということも考えられます。この制度に反対する親の子どもはどのように扱うのかも難しいところです。逆に一律に扱わなければ、子どもの教育の機会の均等(塾に行けないなどの点で)を損なうことにもなりかねません。
他にも実際に指導員はどうやって確保するのか、指導員による性犯罪や暴力の可能性はないか、地方に共同で生活する施設や学校がなければ学校が必要だが、財源は確保できるのかなど、実際にやろうとすれば問題は山積みです。


親元を離れて子どもを遠くで暮らさせるなど、とんでもないという親御さんもおられるでしょう。しかし子どもが都会から田舎の中で暮らすと、子どもの顔が変わります。おそらく、ほとんどの親御さんが「自分の子どもがこんなにいい顔をするとは思わなかった」と言うでしょう。


これからの日本のことを考えれば、これくらいの荒療治が必要な時期に来ているような気がします。

*1:ここでの「成功」は世俗的な意味。社会的地位を得たりお金持ちになったりするということ。

*2:もっとも、数学の世界において形式上は演繹と単純に対比される帰納法的推論というのはないそうです。よくわかりませんが。

*3:文部科学省:平成21年度学校基本調査速報 統計表一覧より。http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08121201/1282480.htm