失業問題についてもう少し。(コメント返し)


仕事から帰ってきたら複数の方が昨日のエントリーのコメント欄で興味深い議論をされているので、それぞれの方へのコメント返しをかねて私の考えを書いてみようと思います。

id:gbysさんへ

>派遣切りという結果に対する原因としては、社会的要因と本人の努力の有無の両者があるはずです。


昨日のエントリーの最後で、このように書きました。

「自己責任」論の最大の問題は、どんなに努力したとしても事実上安定した雇用を得られることは不可能(労働力の需要がないから)であるにもかかわらず、派遣であるという結果「のみ」をとらえて、それを「自己責任」という言葉で片付けてしまっていることにあります。


注目して頂きたいのは、太い文字の部分。つまり、どんなに努力したとしても、いったんドロップアウトしてしまえばもう普通に働くという「可能性」が閉ざされてしまうということが問題なのであって、実際に努力するかしないかということはどうでもいいのです。私も、少し頑張れば何とかなるのにその少しをしようとしない人をも救済すべきとは言いません。(もっともそれは本人がリスクとして引き受けているだけであって、第三者が「責任」を問うものではないと考えていますが)どんなに頑張っても逆転することができない状態が問題だ、といいたいのです。

>例えば、僕が司法試験に落ち続けて無職になった場合、全て社会が悪いのでしょうか?


無職になると言うこと自体は、リスクとして引き受けるべきことです。しかし、そこから努力して懸命に自分の能力を発揮できる場所を探したとしても見つけられなかったとしたら、それは社会の問題といってよいでしょう。これは今のポスドクの就職問題によく似ていますね。


現在の日本の状況を椅子取りゲームでたとえてみます。
今は、椅子取りゲームの椅子が圧倒的に足りない状態です。たとえ椅子に座りたくても、ほとんど椅子が空いてない。そしてさらに、ほとんどの人は一度椅子に座ったらもう立ち上がらない。だからあとから椅子取りゲームの会場に来た人、そして一度椅子から立ち上がってしまった人にはもう空いている椅子がない。
さて、この「椅子に座れない」という状態は「自己責任」なのでしょうか?

もちろん、全員分の椅子を用意しろと言っているわけではありません。そんなことは共産主義でなければ無理です。しかし椅子が圧倒的に足りない場合、それを個人のリスクとして転嫁するのは間違いです。この状況を変えるためには、社会全体で椅子の数を増やす方向に持っていくしかないのです。


id:gbysさんは京大ローで現在法律の勉強をされているわけですが、東大や京大レベルの大学・大学院に入れる人たちというのは、一般的にそれなりに努力をして成功してきた人たちです。だから「努力すれば何とかなる→上手くいってない人たちがいるのは努力してないからであって、それは自己責任なんだ。」と考えがちです。しかし世の中には努力しても何とかならないことの方が多いのです。(もちろん努力してない結果うまくいってない人もたくさんいるのですが)
偏差値の分布において、東大や京大に入れるレベルの人たちがどれくらいの位置にいるかご存じでしょうか?この人たちは上位5%に入ります。もちろん偏差値などで人の能力が測れたり人の上下が決まったりするとは思いませんが、少なくともこの上位5%の位置は残りの95%の人たちが望み、努力しても、届かなかった場所なのです。

そのことを踏まえた上で、自分は自分以外の人たちのためにいったい何ができるのか。何をしなければならないのか。


以前、私たちが社会に貢献しなければならない理由というエントリーを書きました。よかったら読んでみてください。

id:totoron777さんへ

>現在の失業問題の本質は「労働力の過剰供給」でなく、「人件費の過少供給」もだと思います。


これはたぶん、いわゆる正社員の好待遇や低い生産性の問題ですよね。正社員の雇用規制についてはまた後日書いてみようと思います。

>それでいくと自己責任が失業の原因ではないのですが、より良い労働環境を得るための努力をしていないなら、それはやはり「自己責任」の範囲ではないかと思います。


私の主張は、このような努力をしないことによるリスクは本人が引き受けるだけでよいのであって、他人がそれを「責任」という言葉で追及すべきではない、ということですが、id:totoronn777さんの言われる「自己責任」が「リスク」という意味であるならば、おっしゃるとおりだと思います。

はんてふさんへ

>そういう方々は、「失業」のような形で、自身デメリットを受けていますから、
わざわざ言挙げして、社会問題までをも彼らに転化すべきではない、
と僕は考えます。


これはちょっと意味がわかりにくかったのですが、失業問題について失業者を矛先に挙げるべきではない、という私の主張と同趣旨であると理解しました。


しかし

>ただ、やる気の無い人でもやる気を出す機会はありますから、
企業側が雇用のリスクを低く持てるような規制緩和
理にかなっている気がします。


これはその通りだと思うのですが、だからといって

>例えば解雇規制を緩くするとか、いっそ最低賃金を撤廃するとか、
個人情報保護法なんてやめちゃうとか、馬鹿みたいなカーボン取引を
やめるとか。

どうせブラック企業なんて、どんなに規制を厳しくしても
不合理な行動を取るのだから、なるべく緩くした方がいいと思います。


というのはちょっと明後日の方向に行ってしまっているかな、という印象を受けます。
特に最後の部分ですが、「ブラック企業はどんなに規制を厳しくしても不合理な行動を取る、だから規制をゆるめよう」というのは、法の存在意義自体を没却させてしまうのではないでしょうか。