自分の自己責任論に欠けているもの。

"What it is", すなわち「事実」に関して、我々が負っている責任は実のところ驚くほど少ない。地球温暖化だってどこまで人類の責任かなんて神にだって答えられないだろう。

しかし、"What you feel about it", すなわち「認識」に関しては、100%自己責任なのだ。


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以前に「自己責任」論(2)〜「自己責任」に隠された意味〜でごちゃごちゃと「自己責任だと言われる場合は、実は責任ではなくリスクを負っただけに過ぎない」なんてことを書いたのですが、上のエントリーを読んで僕が書いたことはほとんど意味はないんだな、ということに気づきました。


「そうだね、確かに自己責任にはリスクという意味もあるかもしれないね。


            だ  か  ら  何  ?」


そうなんですよね。あんまり意味ないんですよね。現実に被害や損害は発生してるんだから。



大切なのは、それを自分がどう捉えるかということ。

「どう捉えるか」ということは100%自己責任。すなわち、自分の意志で決定する問題。
ある出来事に出会ったとき、それをチャンスと捉えられる人にとってはチャンスになるし、不幸と捉える人にとっては不幸な出来事になる。

他の誰がどう見ても不幸な出来事というのはあって、それが本人の過失によるものでない(=リスク)のであれば責めてはいけないというのが、「自己責任」論(2)〜「自己責任」に隠された意味〜で言いたかったことのひとつだけれど、本人がその出来事をどう捉えるかはまた全然別の話。だけれども、自己責任について考える際には外せないこと。



気づくべきことを気づかさせてもらった、という印象です。