「三毒」は、追放するな。


勉強ができる子がいじめられる理由を書きながら、そういえば中学時代に自分の内面に大きな変化があったな、ということに気づいたので書いてみます。


その変化とは、嫉妬というものを極端に拒絶するようになったこと。具体的には、


・自分より優れた能力や価値を持っている他人に対して嫉妬する自分自身が許せないので抑圧しているうちに、他人に対して嫉妬するという感情自体を持たなくなった。「いいなぁ」とは思っても、その感情は決してその他人には向かわず、立ち消えになる。
他人の嫉妬心も許せなくなった。たとえばBさんに対して嫉妬しているAさんを見ると、それだけでその人に対する評価ががた落ち。どんなにAさんにいいところがあったとしても毛嫌いするようになった。(実際これで大学時代にある先輩を突然毛嫌いするようになり、周りに迷惑をかけた。しかし当時はなぜだか気づいていなかった)



中学時代から「勉強ができる子」に対するいじめは嫉妬心が原因だと考えていたので、そのうち嫉妬すること自体を憎むようになり、そしてとうとう自分の中からも追い出してしまったのです。

勝間さんがよく仏教の三毒の追放をおっしゃっていますが、

・妬む
・怒る
・愚痴る
仏教の三毒 - 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!


私の精神は、自分を守りたいがために私の中から嫉妬を追放してしまったのです。


もしかしたら「実に結構なことだ」と思われる方がおられるかもしれません。

しかし嫉妬という感情「自体」を忘れてしまうことは、あまりよくないことだと最近とみに感じることがあります。というのは、感情というのは人間を動かすエネルギーの源泉ですから、感情を失ってしまうと行動するエネルギーすら失ってしまうのです。
具体例をあげましょう。自分より成績のいい人がいたとします。そしてその人に対して嫉妬心を抱きます。その結果としての行動がネガティブな方向に行けばその人を他の面で引きずり下ろそうとしたり、陰で中傷したりすることになります。しかしポジティブな方向に行けば「今度は勝てるよう頑張ろう」というようになります。
つまり、嫉妬心自体はいいものでも悪いものでもなく、嫉妬心に駆られた結果取る行動が問題なのです。しかし私は嫉妬心を追い出してしまったので、ポジティブな方向を選ぶという選択肢も失ってしまったのです。


上記の勝間さんのブログの続きにこうあります。


ちなみに、厳密には妬まない、は欲望をコントロールすること、怒らないは怒りや恨みをコントロールすること、愚痴らない、は差別をすること、自己中心的な考え方をコントロールすること、です。

そう、三毒追放」とは「三毒を追い出すこと」ではなく、「三毒をコントロールすること」なのですね。三毒は追い出しちゃいけない。追い出すのではなく、うまくコントロールしてポジティブな方向に利用することが大切なのです。


嫉妬心を自分から追い出してしまった結果、私はロースクールでも、友人よりいい成績をとろうという気持ちは全くなく、とりあえず単位もらえればいいというレベルの最低限の勉強しかできていません。もちろん動機付けは他にもあるのだから、勉強していないことに対するよく分からない言い訳なのかもしれませんが・・・