「法曹養成制度検討会議・中間的取りまとめ」に対するパブリックコメント全文


本日,「法曹養成制度検討会議・中間的取りまとめ」に対するパブリックコメント法務省に提出しました。本日締め切りなので,まだの方はぜひ一緒に出しましょう。

12,000字弱とかなりの長文ですが,「法曹養成制度検討会議・中間的取りまとめ」(PDFファイル)で検討されている法曹養成制度,法科大学院の教育や司法試験,司法修習などの各制度について,現在自分が考えていることをまとめてみました。「法曹養成制度検討会議・中間的取りまとめ」(PDFファイル)と項目が対応していますので,横に置きながらご覧いただくとわかりやすいかと思います。また,太字だけ読んで頂いても大体わかると思います。


<<パブリックコメントここから>>


法科大学院を修了して現在は66期司法修習生であるという立場を有する者として,「法曹養成制度検討会議・中間的取りまとめ」に対し,以下のとおり意見を申し上げる。

第1 「法曹有資格者の活動領域の在り方」に対する意見


企業内で法曹有資格者を保持することは,今後も限定的な増加しか見込めないと思われる。なぜなら,日常的に法的判断を求められるような業種・企業の絶対数が少ないことと,法務部を置いているような会社でも法的判断が必要になったときに,当該分野に得意な法律事務所に相談をした方が,法曹有資格者を雇用するよりはるかにコストが安く,より的確な判断ができるからである。同様に,地方自治体においても,法律事務所を顧問とするのではなく,法曹有資格者を雇用することがはたして税金の有効な活用方法であるのかはよく検討する必要があるだろう。

また,「刑務所出所者等の社会復帰等に果たす弁護士の法的支援が必要かつ有用である」という前提は疑問である。刑務所出所者の社会復帰としては就職支援・住居支援・生活保護への接続などが考えられるところ,これらの支援は法的支援よりは事実上の支援の方がウェイトを占める上に,その支援をする当事者は弁護士である必要はない。刑務所出所者の社会復帰支援をする機関としてはすでに地域生活定着支援センターがあるが,同センターは各都道府県に1つずつしかなく,数名体制で出所者の相談に乗る業務をしているだけであり,年間5万人以上いる出所者数に対してコーディネート業務を実施した出所者は1000人程度(平成23年:厚生労働省「矯正施設退所者の地域生活定着支援」より)であることと考え合わせると,ほぼ機能していないと評価してよいと思われる。したがって,出所者に対しては弁護士の法的支援より前に,地域生活定着支援センターの予算と人員と業務内容を大幅に充実させた上で各刑務所と連携させ,全出所者が必ず同センターでの就業・住居・生活保護支援を受けられるようにする方が効果的であろう。

法曹有資格者の活動領域の検討にあたっては,「弁護士を始めとする法曹有資格者の需要が見込まれる官公庁,企業,海外展開等への活動領域の拡大」といった,漠然とした領域の検討ではなく,本当にその領域で法曹有資格者が必要かつ有用なのか(他の資格者や機関では処理できないのか)を分析し,必要かつ有用としても,そのコストを誰がどれだけ負担し,どのように負担するのが合理的かという点を具体的に検討すべきである。

第2 「今後の法曹人口の在り方」に対する意見


「社会がより多様化,複雑化する中,法曹に対する需要は今後も増加していくことが予想され」ているとして始まった司法制度改革であるが,中間的取りまとめでも指摘されているように,「近年,過払い金返還請求訴訟事件を除く民事訴訟事件数や法律相談件数はさほど増えておらず,法曹の法廷以外の新たな分野への進出も現時点では限定的」である現状がある。法曹人口を増やすための法科大学院が設立されて10年になるが,ここでまず当初の法曹に対する需要の増加という見込み違いを認めて,具体的にどのような領域・地域にどのような法曹の需要があるのかをきめ細かく分析した上で,その需要に対して必要な法曹人口数を算出するという,10年前に当然すべきであった作業に今すぐ取り掛かることが必要であろう。司法試験の適正な合格者数を検討するのはそれからである。

 また,司法試験の適正な合格者数を検討するにあたっては,法曹養成においてはOJTが必須である現状に鑑みれば,司法修習を終えた者が全員就職してOJTを受けられるようにすべきであり,したがって司法試験の合格者数の決定にあたっては司法修習生の就職率も考慮に入れるべきである。

そして,ひとまず現時点で法曹の需要があることが明らかな場所は裁判所と検察庁であるので,裁判官と検察官の数(特に地方の小規模庁)の増加は喫緊の課題とすべきである。

第3 法曹養成制度の在り方」について

1 法曹養成制度の理念と現状
(1)「プロセスとしての法曹養成」に対する意見


「法学教育,司法試験,司法修習を有機的に連携された「プロセス」としての法曹養成」という考え方自体には,賛同するものであるが,この考え方が出てきた背景に「旧司法試験下の受験技術優先の傾向」という事情を掲げるのは事実誤認であろう。確かに昭和時代の旧司法試験の問題は暗記で対応可能なものがあったことは否定出来ないと思われるが,法科大学院の検討が始められてからの旧司法試験の問題を見れば,あまり受験生が考えていないような論点で思考力を問うような出題や,事実のあてはめを問う出題へと大きくシフトしていることがわかる。すなわち,「旧司法試験が受験技術優先」という問題は,試験の内容そのものの問題であり,そして近年の旧司法試験の問題は受験技術でなんとかなるようなものではなかったという事実は受け止めるべきであろう。

仮に事実誤認ではなかったとしても,「受験技術優先の旧司法試験」をくぐり抜けて現在法曹として活躍している方々は,法曹として何か問題があるのであろうか。もし問題がないのであれば,旧司法試験下の「点」のみによる選抜には何も問題がなかったということであり,「旧司法試験下の受験技術優先の傾向が再現されることにもなりかねず,法曹志願者全体の質の低下を招くことが危惧される」という中間的取りまとめにおける指摘は杞憂であるし,法科大学院制度を廃止して旧司法試験に戻すという意見はもっともであるとも言えよう。

しかし,私見としては,法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成制度自体は維持すべきであると考える。なぜなら,旧司法試験において,受験者は完全に法曹実務から分離され,大学の法学部でも司法試験の指導をするといったことはほとんどなかったため,原則として独学で学ばねばならない状態であった。そのような状態であったからこそ,司法試験予備校に通う者が増え,「受験技術優先の傾向」が形成されたのである。すなわち,これからの法曹を担う者の養成プロセスが司法試験と司法修習しかなく,その前段階については国家や大学の関与が全くといっていいほどなかったのである。その結果,これまで大学法学部の法学教育自体のレベルが向上することもなかったことは指摘できよう。

法曹養成の在り方を考えるにあたっては,このような旧司法試験下の状況を踏まえた上で,司法権の一翼を担う法曹を志す者を国家的に養成していくという観点から,質の高い法曹養成のノウハウを蓄積し,カリキュラム及び方法論を確立し,大学教育にも還元していくためにも,法科大学院制度を存続させることは十分に意義があることであると考える。また,今後,大学法学部と法科大学院の役割分担や関係性の整理も必要となろう。

なお,実務でも旧司法試験下で法曹となった方々が現在問題なく活躍しているとしても,それはよりよい法曹養成の在り方を模索すること自体を否定する理由とはならない。少なくとも,旧司法試験にそのまま戻すという選択肢は取るべきではない。

(2)「法曹志願者の減少,法曹の多様化の確保」に対する意見


中間的取りまとめでは,法曹志願者の減少の原因は,司法修習終了後の就職状況,法科大学院の時間的・経済的負担,全体としての司法試験の合格率の低さにあると分析しているようである。しかし,法曹志願者の現象の原因はこれらだけではない。たとえば,今の法曹の中で「私の司法試験受験時代に司法修習が貸与制度だったら,私は法曹にはなっていない」と述べる方が数多く見られることからもわかるように,司法修習が給費制を撤廃して貸与制に移行したことによる経済的負担は法曹志願者減少の大きな要因である。
また,法曹の魅力のひとつはその収入の多さにもあったと考えられるところ,法曹の増加及び公務員の給与削減により急激に法曹全体の待遇が悪化しており,法曹の魅力が低下しているからである。もっとも,収入が低くても法曹を目指すという志を持つ者の方が法曹に適しているという観点からは,収入の低下による法曹の魅力は考慮しなくてもよいとも思われるが,優秀な人材を法曹に惹きつけ,司法権の適正な運用を支えるという観点からは,収入面についての考慮も重要であると考える。

なお,「全体としての司法試験の合格率がそれほど高くなっておらず」という中間的取りまとめにおける指摘は,司法試験の合格者数が固定されており,法科大学院の乱立により司法試験の受験者数が増加したのであるから,法科大学院設立当初から当然に予想されていたことである。この問題の本質は司法試験の合格率ではなく,法科大学院の乱立にあると言えよう。

法曹の多様化については,まず法科大学院の未修者枠に法学部出身者が応募できないようにするか法学部出身者の割合を大幅に制限すること,そして未修者への教育体制をより充実させることが必須である。法科大学院の未修者枠は法学部出身者が大半を占めている現状があるが,これにより法科大学院は法曹の多様化どころか,逆に均一化を促進している事実は否定できないであろう。

(3)「法曹養成課程における経済的支援」に対する意見


 司法試験の合格者が法曹(弁護士・検察官・裁判官)になるためには1年間の司法修習に行かねばならないこととなっているが,司法修習65期より,月額20万円程度の給費制から月額23万円を基本とする貸与制へと移行した。中間的取りまとめでは「貸与制を導入した趣旨,貸与制の内容,これまでの政府における検討経過に照らし,貸与制を維持すべきである」という提言がなされている。しかし,貸与制には国家によって司法権を担う法曹を養成するという観点からは大きな問題が4点あるので以下に述べる。

まず,修習専念義務を負い,兼業が原則として禁止されている司法修習生は,貸与制によらねば生活していくことができないのが現状である。法曹になろうと志す者は全員,生活費を自分で稼ぐことを完全に禁止された状態で,相当数が借金をする期間を過ごさねばならないのである。1(2)でも述べたとおり,これでは法曹を志す者が減少するのは当然の帰結であろう。これはすなわち,法曹として存分に活躍できる優秀な人材が法曹を目指さなくなることを意味し,長期的には法曹全体のレベルが下がっていくことが容易に予想できる。「財政難の状況下で国民の理解が得られない」という理由で貸与制が導入された経緯があるが,法曹全体のレベルが下がることにより国民の権利を害することは,国民の理解が得られるのであろうか。

また,貸与制の趣旨として「法曹資格を得る者=受益者がその費用を負担すべき」ということが挙げられているが,法曹は国民の権利義務そのものを取り扱う資格であり,その点において他の法律に関する資格とは一線を画する。医師が国民の生命・身体という基本的人権の中核を取り扱う資格であり,医療行為をできるのは医師だけであるのと同様,法曹は国民の基本的人権を守れる唯一の存在である。特に,基本的人権を大きく制約される刑事事件は法曹しか携わることができないことは見逃してはならない。ところが,医師になるために研修を受ける臨床医の給料は国家から補助金が出されているのに,法曹になるために研修を受ける司法修習生には給費が出されていないというのは,国民の基本的人権を軽視するという姿勢の表れではないだろうか。

さらに,司法修習生の負担自体が非常に大きいため,公平の観点からも,給費を支給する必要がある。司法修習生は,司法修習開始の1ヶ月ほど前に,突然全国のどこかに配属されることが通知される。希望の配属地を提出することは可能であるが,希望が通る保証はなく,縁もゆかりもない地に飛ばされることは稀ではない。その引越し費用及び生活費はもちろん司法修習生の負担である。また,8月から9月にかけて,埼玉県和光市司法研修所で集合修習があるが,そのときに,特に地方の修習生は寮に入れない可能性が高く,そうすると和光で別途2ヶ月のためだけに住居を借りる必要がある。この費用も修習生が負担せねばならない。さらに,地方に飛ばされた修習生が東京や大阪で就職しようと思えば足繁く通う必要があり,昨今の就職難でますます頻繁に通わねばならなくなっている。長崎から東京に何十回も通うような事態は珍しくない。もちろんこの費用も修習生が負担する。しかし,司法修習生には厳格な修習専念義務が課せられており,土日祝日を含めて修習生の間に仕事をして生活費を稼ぐことは禁止されている。司法権の一翼を担うという公益性の高い業務に従事するための研修を受ける司法修習生に,このような負担を求めるのははたして妥当であろうか。
4点目として,法曹になってから(司法試験に合格していても法曹になれない者がすでに数百名単位で発生しているが)5年後から貸与制の返済が開始するが,この返済原資を稼ぐために,特に弁護士がお金にならない仕事を避けることになる可能性があることである。これまで弁護士の収入が高いと一般的に言われてきたことであるが,同時に多くの弁護士は,刑事国選弁護や福祉問題,消費者問題,国や大企業に対する公害訴訟など,決してお金にはならない事件に,時には弁護士自身が費用負担をして関わってきた。それが可能だったのは,お金にならない事件以外でもそれなりの収入があったからである。たとえば,今ではもう公害と呼ばれるような環境汚染はほとんどないし,過払いは今でこそ法律関係者の収入源になっているものの,かつては費用倒れになることが確実で弁護士がやりたがらない事件類型であった。しかし一部の弁護士が諦めずに裁判所に訴訟を提起し続け,最高裁に過払いの返還を認めさせたからこそ,昨今の過払いバブルが生じたのである。長年にわたって国家賠償請求をし続けてきたB型肝炎訴訟で,B型肝炎感染者全員と国が和解することを合意したことも記憶に新しいであろう。

法曹が増加し,すでに弁護士1人あたりの収入は大きく低下し,これからさらに低下することは確実であるが,これに加えて貸与制の返済も加わると,もはやこれからの弁護士は生活していくためにお金にならない仕事をすることはできなくなる。法曹の需要はまさにお金にならない刑事事件や子どもの虐待,高齢者や生活保護等の問題の領域にあるところ,弁護士自身が年収200万円で借金も抱えている状況ではそのような仕事ができるはずもない。

以上のとおり,三権分立の一角である司法権の担い手の待遇を悪化させることは,国民に対して直接的に悪影響がある。昨今,弁護士による横領事件が多発していることはその一例ではないだろうか。貸与制の返還が始まる5年後までに給費制に戻し,貸与制の下で貸与を受けていた者の返済義務を免除するよう方針転換することは必須であると考える。なお,貸与制を維持して司法修習生の修習専念義務を緩和ないし廃止すべきという意見もあるが,法曹実務家を養成する司法修習の意義自体を損なうであり,それこそ国民の権利利益を損なうことを助長する道であって,法曹養成の本質を見誤っているといえよう。

2 「法科大学院について」

(1)「教育の質の向上,定員・設置数,認証評価」に対する意見


 現在の法科大学院の問題点の本質は,教育の質に集約される。

言うまでもなく,法科大学院は法曹実務家を養成する大学院である。しかし,法科大学院の教員の大半は司法試験に合格しておらず,もちろん司法修習も経ていないし実務にも出たことがない,法学部の学者教員である。中間的取りまとめでは「法科大学院において・・・実務との架橋を強く意識した教育を行うべきである」としているが,なぜ,実務経験のない学者教員が理論と実務を架橋することができるのであろうか。また,旧司法試験時代から,大学法学部の学者教員は,司法試験の指導には携わっておらず,もちろん法曹実務家を養成した経験もない。学者としての実績があったとしても法曹実務家の養成経験のない者が,なぜ法曹実務家を養成することができるのであろうか。学者としての実績は法曹実務家の養成能力の担保になるのであろうか。

法科大学院設立にあたっては,以上のような法曹養成の経験がない法学部の教員を法科大学院に招聘する必要があったが,法曹養成のための教育の方法論や法曹実務家を養成する教員としての適格性はまったくといってよいほど議論されなかった。中間的取りまとめでは「法科大学院の教育方法は,少人数教育を基本とし,双方向的・多方向的で密度の濃いものとすべきとした上,厳格な成績評価及び修了認定の実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである」とあるが,双方向・多方向の教育,いわゆるソクラテスメソッド方式は,教員と学生側双方に高度の理解と能力があって初めて成立する方法である。残念ながら,この方式に耐えうるだけの能力を持った教員と学生は,非常に数は少ないといって良い。また,法科大学院設立前に法学研究科で大学院生を指導していた学者教員は,その従前のやり方,すなわち学説の理解を中心に法科大学院生を指導する傾向にあるが,法曹実務家に要求されるのは学説の理解ではなく法律を使いこなせることであり,このような学者教員の指導方法は弊害の方が大きい。最近になってようやく改善の兆しは見られるが,今でもなお多数の法科大学院生が,法科大学院における教育に不満を覚えている現状がある。したがって,まずは法科大学院の教員の法曹養成能力に問題があることを受け止めた上で,双方向・多方向の教育にこだわらず,法律の使い方及び実務における基本的な思考方法(法的三段論法や原則例外といった考え方)を徹底的に訓練する方法論を迅速に確立すべきである。
また,法曹実務家を養成することができるだけの能力を持った学者教員は存在するものの,そのような教員の数は決して多くはないのが実情である。したがって,まずは法曹実務家を養成できるだけの能力がある教員を選抜し,その教員数から設置可能な法科大学院の数を決定すべきである。そうすれば,現状の法科大学院の乱立による教育の質の低下は食い止めることができるであろう。

さらに,法科大学院における教育の問題点として,「過度の受験指導を禁止する」という認証評価における不明確な制約がある。「過度の受験指導」という文言が曖昧不明確であるために,法科大学院の教員は,学生に文書を作成させて添削するという指導方法を過度に制限されているのである。しかし,法曹三者は文書を作成するのが主な仕事である。法曹を養成する法科大学院において,文書を作成する訓練をしないでどうするのであろうか。「過度の受験指導を禁止する」という規定は旧司法試験が受験技術で合格できたという事実を前提としているのであろうが,前述のとおりそれは事実誤認であるし,何より今の司法試験が受験技術を弄して突破できるようなものではないのは問題を見ればわかることである。このような規制は今すぐに撤廃し,教育方法としては文書作成とその添削を主体として法曹実務家を養成できる方法論を確立すべきである。

以上のとおり,法科大学院に関する問題の本質は法科大学院の教育面にあるので,司法試験の合格率や合格者数,評価の厳格化等の検討の前に,教育内容の改善に取り組むべきであると考える。

(2)「法学未修者の教育」に対する意見


 多様なバックグラウンドを持った法曹を養成するという司法制度改革の理念それ自体は素晴らしいものであると考えるが,その理念を実現するために必須である法学未修者の教育の現状は無惨なものであると言わざるを得ない。その原因は,法学部4年間で学ぶことを1年間で詰め込むことの難しさと,未修者を教育する方法論が教員各自の創意工夫に任されていて,ベストプラクティスが共有されておらず,方法論自体の確立がなされていないこと,法学未修者が学ぶのに使うとよい教材(特に演習教材)がまだまだ不十分であることが挙げられる。また,特に法学部出身者ではない純粋な未修者に対する課外のサポートが不十分であることも挙げられよう。

以上のような法科大学院における法学未修者教育の不十分さとそれによる未修者の合格率の低迷により,純粋な法学未修者の志願者数は減少の一途を辿り,今や法科大学院に進学する純粋な法学未修者は絶滅状態にある(平成24年4月20日付 総務省「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評価」においても同様の指摘がなされている)。すなわち,法科大学院自身が多様な法曹を養成するという司法制度改革の理念に真っ向から反する事態を生み出しているのである。中間的取りまとめでは共通到達度確認試験(仮称)を実施することで厳格に進級判定を行うとしているが,まずは法科大学院における法学未修者の教育の問題点に真摯に向き合い,そのような厳格な進級判定を純粋な未修者が通過できるような教育体制の確立が急務である。

3 司法試験について

(1)「受験回数制限」に対する意見


 現在,司法試験は5年間に3回まで受験できるという受験回数制限が設けられている。この根拠として中間的取りまとめでは「法科大学院における教育効果が薄れないうちに司法試験を受験させる必要がある」「旧司法試験の下で生じていた問題状況=何年も司法試験を受け続ける人がいる状況を再び招来すべきでない」「なかなか合格できない者に早期の転身を促す」といったものが挙げられている。これらの理由はある程度合理的であるとは考える(もっとも,何年も司法試験を受け続けるのは自由であって,制度設計側から問題として取り上げる必要があるかは疑問なしとはしない)が,いずれも受験期間の制限で足りるものであり,3回に回数を制限する理由はない。また,3回という回数制限により司法試験を受け控えする受験生も多数おり,無為に時間を過ごすことになる事態も引き起こしている。

したがって,3回という回数制限は弊害しかないことから,5年という期間制限を置いた上で,受験回数の制限は撤廃すべきである。

(2)「方式・内容,合格基準・合格者決定」に対する意見


 司法試験の方式については,論文式試験の試験時間をあと30分程度延長することを提案したい。新司法試験になってから,試験問題に事実がふんだんに盛り込まれ,答案にもその事実を引用することが求められるようになった。そのため,旧司法試験時代と比較して答案における文章の量が全体的に増加したと思われるが,それにも関わらず試験時間は旧司法試験時代と同じである。これは,答案内容の希薄化・不十分な検討を招来することとなり,受験生が十分に実力を発揮することをより困難にしている可能性が高い。もちろん時間をかければそれだけ答案の質が良くなるわけではないので,30分程度の延長で足りると考える。

(3)「予備試験制度」に対する意見


 予備試験については,法科大学院に行く時間的・経済的余裕がない者でも法曹を目指せるように,予備試験の合格者数を増員すべきである。法科大学院に通いながらでは働きながら法曹を目指すことは困難であるし,金持ちしか法曹になれないという事態は世帯の収入で職業選択の自由を事実上制約することになるから,極力避けなければならない。具体的には,法科大学院を存続させることは前提として,司法試験の受験資格者数のうち,法科大学院の修了者数対予備試験の合格者数の比率を2:1ないし1:1程度になるように調整すべきであろう。中間的取りまとめでは「本来の制度の趣旨とは異なる状況が生じており」との指摘があるが,法曹志望者に時間的・経済的負担を要求し,さらに前述のとおり法曹養成能力に疑問符がつく法科大学院に通わねば司法試験の受験資格を与えないというのは不合理である。法科大学院の入学者は年々減少の一途を辿り,予備試験の受験者数は年々増加傾向にあるという現状を踏まえた上で,法科大学院が原則,予備試験が例外という立場は放棄し,直ちに単に司法試験の受験資格を得るルートが2つあるだけという方針に変更すべきである。

 なお,予備試験の受験者数が増加していることに対して,予備試験受験者の受験資格に年齢制限を設けるべきという法科大学院協会事務局長のコメントが報道されたが,法科大学院の現実を顧みようとしない態度であり,多様な法曹を養成するという司法制度改革の理念にも反するだけでなく,憲法14条1項及び憲法22条1項にも違反する意見である。

4 司法修習について

(1)「法科大学院との連携」に対する意見


 中間的取りまとめでは「法科大学院教育から司法修習への円滑な移行を行い,修習の効果を上げるために,司法研修所及び配属庁会において,修習の開始前後に導入的教育が実施されている」「司法修習生は,これらの導入的教育を経て分野別実務修習に取り組むことにより,集合修習の開始までに概ね必要な水準に達すると評価されており」と述べられているが,その評価はやや疑問である。まず,修習前の導入的教育として司法研修所が行なっているのは,白表紙と呼ばれる修習のための教材を司法修習生に送付し,各実務修習に関する分野の課題を提出させるものがある。しかし,この課題をやったからといって分野別実務修習の成果が上がるという実感は今のところない。また,配属庁会における導入的教育はなされていない(配属されるのは修習開始時なので,修習開始以前において「配属庁会」は存在しない)が,大阪弁護士会など一部の弁護士会での導入教育はなされており,これについては一定の成果を上げているという実感はある。

 もっとも,司法試験の合格から司法修習開始までは2ヶ月あまりしかなく,配属庁によっては引越しが必要になることもあるため,この期間に導入的教育を充実するのはあまり望ましくないと考える。

(2)「司法修習の内容」に対する意見


 現行の司法修習制度は1年間とされているが,弁護修習・刑事裁判修習・民事裁判修習・検察修習という分野別実務修習の期間は各2ヶ月しかなく,この期間をあとせめて1ヶ月は延長すべきであると考える。なぜなら,裁判所の期日は原則として1ヶ月程度の期間をおいて進んでいくため,修習期間が2ヶ月しかないと1つの事件について最初から最後まで傍聴するということは不可能であり,手続にひと通り触れるということはできないからである。特に,年末年始やゴールデンウィーク,お盆などの長期休廷日がある期間や4月の裁判官の異動時期で期日があまり入らない時期の実務修習ではこの傾向が顕著であり,密度の濃い修習にするにも限度がある。したがって,分野別実務修習を1ヶ月半ずつ延長するか,せめて1ヶ月の延長とした上で集合修習を2ヶ月延長し,司法修習の期間を1年半とすべきであると考える。

5 「継続教育について」に対する意見


 現在,司法試験合格者の増加に伴って,十分なOJTを受けられない新人弁護士の数が急増している。弁護士が基本的な知識・技能を有していないことによって被害をこうむるのは国民である。したがって,特に即独するような新人弁護士に対する教育の導入は今後検討する必要があると考える。

 また,実務修習中,守秘義務違反のおそれがあるので詳述はしないが,代理人弁護士の訴訟活動で懲戒も免れないようなものも散見された。法曹になってからは基本的に第三者からその業務内容について評価・批判されることはないため,定期的に訴訟活動の問題点をあぶり出す機会が必要ではないかと感じた。